水は方円の器に随う
(出典:書き下ろし)
水から学ぶことは多いのですが、その一つをお話ししたいと思います。
「水は方円(ほうえん)の器に随う」という偈があります。水は柔軟な物の典型として方形の器であろうと円形の器であろうとその形に随って形を変えて寄り添うということであります。
人で言うなら心の柔らかさ、柔軟心(にゅうなんしん)の大切さを教えています。
その水も綺麗な真水がいいと思っていました。言い換えると、白分がきれいでないと他の汚れは洗えないと思っていました。
しかし、経験された方もあるかも知れませんが、洪水で泥水が家宅に浸水し、家具が泥だらけになったとき、泥で汚れた家具をきれいな水で洗ったら、しみが残ります。泥で汚れたものは、一度、泥水で洗ってからきれいな水で洗わなければならないのです。
平成25年に滋賀のわが市も洪水の被害に遭い、重機を使う復興は早く終えましたが、戸々の後片付けに大変な時間がかかりました。
人間関係もやはりそのようです。自分が「規則を厳守し、曲がったことが嫌い」という生き方の人は褒められこそすれ、少しも悪いことではないのですが、やりたくてもできない人の性格の弱さ、経済力の無さが理解できず、助けることが出来ないのです。きれいな水の人なのです。
「自分が汚れなければ、他の汚れを洗うこともできない」と思えるようになって初めて、清濁合わせ飲める度量ができるのだと思います。
非常時には、身近な存在の水に「光と希望」を見ることがあります。
「水・パン・もうふ」「SOS」と、道幅いっぱいに白い粉で書かれた文字が並んでいました。被災地をヘリコプターが空撮した写真に写っていたものです。書いた人の悲痛な声が聞こえました。「水、パン」の水は命の水です。
寒さ募る避難所には、心身を暖める「水」があります。お風呂や温かいみそ汁です。
被災地に冷たい雨が降りつづき地盤が緩めば、余震が新たな土砂災害につながります。絶望で濡らす非情な水もあります。
目、耳、口の自由を2歳で失ったヘレン・ケラーが最初に覚えた言葉は「水」であったといいます。
サリバン先生がヘレンの左手に井戸水をかけ、右の手のひらに指で「W-A-T-E-R」と書いた。それが、「私の手を流れる、すばらしい、冷たい何か」についた名前であることを知ります。水が魂を目覚めさせ、「光と希望」を与えてくれたと、自伝で回想されています。
水は一滴々々が集まり、岩をも、山をも砕く荒々しい試練を与える働きから、人の気持ちに寄り添える優しさまでを持っているのです。
合 掌