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臨済禅師のこころシリーズ〔8〕

(出典:書き下ろし)

 「この世の中でもっとも簡単なことは? もっとも困難なことは?」という質問を受けて、古代ギリシャの哲学者タレスは「もっとも簡単なことは人に忠告すること、もっとも困難なことは自分を知ること」と答えています。
 なるほど人のこと、人の至らなさは良く分かるもの。しかし、分かっているようで実は分かっていないのが自分の事。ましてや、自分を知りどのように生きていけば良いのか、誠に困難な問題であります。
 宗という字には、おおもととか根本という意味があります。宗教とはつまり、人として生きてゆく上での根本的な教えということになります。

rengo1608b.jpg 如何に自分を知り、如何に生きていけば良いのかを示して下さったのが、中国の唐末期に活躍された臨済宗の宗祖・臨済義玄禅師です。
 臨済禅師は、別名臨済将軍とも呼ばれ、喝という言葉を使い修行僧を叱咤し、厳しい修行を課したと言われています。臨済禅師を描いた画像を見ると、目を怒らせ、拳を突き立てた恐ろしい風貌の寄りつき難い作品が多く見られます。
 しかし、実際は厳しいだけでなく、立ち居振る舞いは誠実であり、綿密であったとも言われています。
 心と体は連動していますから、坐禅する姿はもとより、歩く姿、食べる姿、全ての振る舞いにまで雑念無く純一に行ずる事が臨済禅師の教えなのでありましょう。

 臨済禅師の残された語録の中に「随所に主となれば 立処皆な真なり」という言葉があります。
 主となるとは、主体性を持って生きる事に他なりません。では主体性を持って生きるとはどういうことでしょうか。

 ある小学校で、文房具が無くて困っているネパールの小学生に鉛筆を送る事を企画し、生徒に一人二本の鉛筆を持ってきてくれるように募ったそうです。すると、ある生徒が新品の鉛筆をわざわざ削ってもって来たとのこと。なぜ鉛筆を削ってきたのか先生が尋ねると、その生徒は「鉛筆がないのだから、鉛筆削りもないと思ったから」と答えたのだそうです。
 この生徒は、主となって生きています。
 主体性を持って生きることができれば、臨機応変、自由自在な働きが湧き出てきます。
 主体性を持って生きることができれば、相手を想い、相手の立場になって物事を考えることができるのです。

 随所をそのまま訳せば、いつでも、どこでもとなりますが、我々の置かれている時間と場所は、常に今、ココしかありません。そして、禅の教えも常に今、ココで自分はどう生きるのかがテーマなのです。
 「随所に主となる」とは、今、目の前の事に主体性を持って生きることに他ならないのです。 今、目の前の事に主体性を持って生きることで、「立処皆な真なり」、そこが自分の真実の場所となるということを、臨済禅師は教えて下さっているのです。

 今年は、臨済禅師がお亡くなりになって1150年になります。
いくら時間が経過しても、今もなお色褪せる事のない教えを生きる糧にしたいものです。

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