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臨済禅師のこころシリーズ〔7〕

(出典:書き下ろし)

 今年もお盆の時期となりました。みなさんもまもなくお墓参りなど、ご先祖さまをお迎えする準備に取り掛かられることと思います。お盆の行事は「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経に出てくるお釈迦さまの弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)のお話がもとになっています。詳しくはこちらをご覧下さい。

rengo1608aa.jpg 目連尊者が餓鬼道に堕ちた母親をなんとかして救おうと、お釈迦さまに教えを請うお話なのですが、そもそもなぜ目連尊者の母親が餓鬼道に堕ちてしまったかというと、あまりの我が子可愛さに、我が子さえ良ければと、他人に対しては施しの心を忘れて、飢えに苦しむ人たちを見捨ててしまったからです。
 
 我が子を思う心は、大変尊いものですが、そこにとらわれてしまっては、その善い心も悪い心になってしまいます。現代でいうモンスターペアレントも目連尊者の母親と同じなのかもしれません。

 臨済禅師の言行録『臨済録』に「金屑(きんせつ)貴しと雖(いえど)も眼に落つれば翳(えい)と成る」という言葉があります。

 臨済禅師が住職をしていた臨済院に、その地方の知事であった王常侍(おうじょうじ)という人物が訪ねて来て、このように問いました。「このお寺の修行僧たちは看経(かんきん・お経を読むこと)や坐禅をしているのですか?」。臨済禅師は「看経もしないし、坐禅もしない。仏になるのだ」と答えます。禅の修行道場ですので、看経も坐禅もしないはずがないのですが、とにかく臨済禅師はそう答えたのです。それに対する王常侍の言葉がこの「金屑貴しと雖も眼に落つれば翳と成る」です。

 「金の細片は貴重なものだが眼に入ってしまっては害にしかならない」、つまり王常侍は「看経や坐禅もそれにとらわれてはかえって仏になる妨げになってしまう」と言ったのです。臨済禅師はこの時、王常侍のこの言葉に納得して「わかっているではないか」と応えています。

 江戸時代初期の大名で板倉重矩(いたくらしげのり)という人物がいます。板倉家には家宝の弓があったのですが、重矩の留守中に小姓がその弓を引いて遊んでいたところ、ポキリと折れてしまいました。小姓は打ち首も覚悟して重矩の沙汰を待ったのですが、帰ってそのことを聞いた重矩は「常にこの弓を傍に置いて万が一に備えていたが、小姓が引いても折れるくらいの弓ならば、自分が引いても必ずや折れて危機に陥っていたであろう。むしろ事前にそれを知ることができたのは幸いである」と言って笑って許したということです。重矩は優れた機知によって小姓を救ったのです。

 壊れた弓をなおも大切なものと見ていたのであれば、それはまさに眼に入った金屑となっていたことでしょう。しかし、重矩はそこにとらわれることなく、壊れた弓より大切なものがあるということに気づいていました。

 「金屑貴しと雖も眼に落つれば翳と成る」。臨済禅師のこの教えは、自分自身をしっかりと見つめなおして、大切なものは何なのかはっきりと見定めよ、ということです。お盆は、ご先祖さまやあらゆるものたちに供養する行事ですが、また同時に、その結びつきの中で、自分自身のことを振り返り、反省する日でもあります。

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