残心
(出典:書き下ろし)
お茶の道は仏道に通じており、仏教の教えを伝えることにもなると私は思いますので、お寺でも茶道の真似事をしています。その茶道に「残心(ざんしん)」という教えがあります。「残心」とは心を残すと書きます。利休の師である武野紹鴎(たけのじょうおう)に
なにしても 道具置きつけ 帰る手は 恋しき人に 別るると知れ
という教えがあります。私も若い頃、師匠に稽古をつけてもらっている時によく言われたものでもあります。棗(なつめ)でも茶入れでも、それを点前の中で清めるのですが、大切なものでありますから粗相(そそう)があってはなりません。誰でも自分の手の中にある時は慎重にそれを扱うのです。
しかし、清め終わって所定の位置に戻す時、つい終わったという安堵から気が抜けてしまい、次の行動にと気が急いでしまう。そうすると点前に緊張感が無くなり、席中の雰囲気も台無しになるのです。そこで紹鴎は道具を置いたその手は正に恋人と別れを惜しむが如く、心をそこに残せと教えるのです。これが「残心」であります。
一会の茶会を催す時、亭主は迎える客の為に誠心誠意尽くします。正に「おもてなしの心」であります。道具は元より、玄関先から庭周り全てにこの心を尽くします。それはまぎれもなく思いやりの心であり、慈悲の心でもあります。そして、会が終わり客を見送った亭主は一人茶室に戻り、今日の茶会を見つめなおし、一服のお茶を喫して客に思いを馳(は)せるのです。その心もまた「残心」であり、一期一会の心であります。
私たちは日頃忙しく、自分のことばかりで、他を思いやることなどあまり無いかもしれません。しかし、他を思いやる心を私たちは当然のように持っております。その心をこの「残心」という教えから思いだして頂きたいと思います。