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自浄其意-じじょうごい-

(出典:書き下ろし)

 コンビニエンスストアのトイレで「いつも綺麗に使って頂いてありがとうございます」という貼り紙をよく目にします。ただ「綺麗に使って下さい」と書かれるよりも、綺麗に使わなければならない気がします。

 仏教では釈尊以前からの普遍の真理を示した七仏通戒偈があります。

諸悪莫作(しょあくまくさ)(すべて悪いことはやめましょう)

衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)(善行につとめましょう)

自浄其意(じじょうごい)(自ら心を清らかにたもちましょう)

是諸仏教(ぜしょぶっきょう)(これが諸仏の教えです)

 唐代の詩人白居易に仏法の大意を問われた鳥窠(ちょうか)和尚は「諸悪莫作、衆善奉行」と答えられました。「そんなことは三歳の童子でも解る」という白居易に対して和尚は「三歳の童子でも言えるが、八十歳の老人でも行じ難い」と言われたのです。七仏通戒偈に見るように、自浄其意に努め本来の清浄心に立ち返れば、その行いは自ずと善行であり、悪いことなどできるはずもありません。

rengo1509.jpg ある公衆トイレに入った時の話です。そこは小さなパーキングエリアでトイレも一カ所のみ。立ち寄った時にはたまたま清掃中でしたが、我慢できずに入りましたら他にも一人。その人は掃除のおばさんに「掃除している側からすみません」と一言。するとおばさんは「皆さん黙って使っていく中、声をかけてくれて有り難う」と掃除の手を止めて嬉しそうに振り返りました。何かホッとさせられる光景でした。私たちは公衆トイレを使えて当たり前だと思っていないでしょうか。清掃中のトイレでよく目にする光景は、周りから掃除を急かされるような雰囲気です。「なんで掃除中なんだ」と言わんばかりの人。掃除している方も「掃除中になぜ使うんだ」という気になるでしょう。しかし、声を掛けられたおばさんが黙々と掃除している姿は、仕事の報酬も忘れて無心に働く尊さがありました。その姿に、思わず声を掛けずにいられなかったのでしょうか。

 私たちは生きていくために、多くの命を体の中に通過させていきます。食べることばかりでなく、出て行く先までしっかりと見届ける(トイレに不浄を残さず流し切る)ことが人としての当たり前の姿なのです。その当たり前のことすら他人にさせる=他人への迷惑ということに気付くことが大切です。禅寺では人知れずトイレ掃除することが、最も大切な修行だとされています。御不浄と言われるトイレを綺麗にすることは他人の為だけでなく、自分にとっても不浄と思う心の垢も取り除く自浄其意の行なのです。

 「いつも綺麗に使って頂いて……」という貼り紙は、トイレだけでなく私たち自身が本来の清浄心でいるか問いかけられている気がします。

にごりなき心の水にすむ月は

      波も砕けて光とぞなる    夢窓国師

 トイレ掃除のおばさんの黄ばんだゴム手袋も輝いて見えたのは、その人の清々しい心に接したからかも知れません。

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