花を弄すれば香り衣に満つ
(出典:書き下ろし)
先般、名古屋の徳源寺では先代の瑞雲軒松山萬密老大師の13回忌の法要が勤められました。私も出頭しお参りをさせていただきました。
私のお寺には、瑞雲軒老大師が揮毫された表題の墨蹟があります。昭和59年11月、当山の中興開山300年遠諱に導師としてお越しいただいたご縁でこの墨蹟をいただいたのです。当時、瑞雲軒老大師は妙心寺派管長でもありました。
さて、この語でありますが、中国は唐の時代、于良史の『春山夜月』(しゅんざんやげつ)と題する詩の一節です。「水を掬すれば月手に在り」の句と対句になっています。
花を弄(もてあそ)んでいると、花の中に身を置いることになり、その花の香りがいつの間にか着物にしみつくように、人もよき友、よき環境の中に身を置いていれば、いつの間にかよくなるものだ、という意味です。
朱に交われば赤くなる、という諺にもある通り、人というものは交わる環境や愛玩するものに、いつとはなしに影響されてゆくものであるから、つとめてよき師、よき教え、よき友やよき環境に身を置けというのです。
『華厳経』という経典の中にも”薫習”(香りがしみ込むの意味)ということについて、こんなお話が伝えられています。
ある日、お釈迦様は数人の弟子を連れて町を歩いておられた。道に一本の縄きれが落ちているのに気付いたお釈迦様は、弟子の一人に振り返り、こう言われた。
「その縄を拾ってごらん。どんなにおいがするかね」。
縄を拾って、においを嗅いだ弟子は「お釈迦様、大変いやなにおいがいたします」と答えました。
またしばらく歩いていると、今度は一枚の紙切れが落ちていました。お釈迦様は、さっきの弟子に振り返り「その紙を拾ってごらん。どんなにおいがするかね」とお尋ねになられました。紙切れを拾って、においを嗅いだ弟子は「お釈迦様、大変よいにおいがいたします」と答えました。
お釈迦様はそこで立ち止まり、静かにおおせられました。「弟子たちよ、縄も初めからいやなにおいがしていたわけではなかろう。いやなにおいのものをしばったために、縄まで人に嫌われるようになってしまった。紙切れも、初めは何のにおいもないものが、よいにおいのお香か何かを包んだおかげで、みんなに喜ばれる紙になることができた。お前たちも、つとめてよき友を持たなければならない」
お釈迦様は”対機説法”の名手で、まことに臨機応変。とても、わかりやすいお話だと思います。
実は、当山の遠諱を終えた約一ヵ月後、私の姉が亡くなりました。脳腫瘍という病で27歳の若さで死んでいったのです。私たち家族は、しばらく悲しみの毎日でした。ふと気付けば、師父と母の悲しみは想像を超えたものでした。
しかし、厳しく近寄りがたい存在である師父の泣き崩れる姿を目の当たりにし、私にとって大きな転機となりました。だんだんと年老いてゆく両親への想い。そして、私は当時大学の4年生で、振り返れば毎日がその日暮しで人生について考えた事もなく、生命の事なんてなおさらです。見方を変えれば、姉の死は、やがてなろうとする宗教家への道の性根を叩き込まれた縁であり、大学を卒業したら専門道場へ掛搭し、寺を継ぐ事の決心がついた時でもありました。
「花を弄すれば香り衣に満つ」という語は、これから人生を正しく生きてゆけよ、という姉の声なき声であるとともに、瑞雲軒老大師のお慈悲であると受け止めた、有難く尊いご縁でありました。