花祭りに思う
(出典:書き下ろし)
4月に入り、待ちに待った暖かい春がやってきました。春は始まりの季節、入学や就職など新生活を迎える人は、草花の芽のように期待に胸をふくらませていることでしょう。
実は、仏教の世界においても、4月は大きな始まりを意味しています。4月8日は降誕会(ごうたんえ)といって、お釈迦さまがお生まれになった日であります。降誕会は、仏生会(ぶっしょうえ)、灌仏会(かんぶつえ)とも呼ばれていますが、やはり一番なじみがあるのは、花祭りという呼び名ではないでしょうか。各地の寺院では、春の草花で屋根が飾られた小さなお堂・花御堂(はなみどう)が置かれ、その中に誕生仏である小さな仏さまをお祀りいたします。花祭りでお参りする際、仏さまに甘茶を注ぎかけて手を合わせます。また、昔からいただいた甘茶で習字の墨をすれば字が上達すると言われていました。このように仏さまに甘茶をかけてお参りするというのは、お釈迦さまのご誕生を天が祝福し、産湯として甘露の雨を降らせたというお話がもとになっています。
正岡子規は花祭りに次のような歌を詠みました。
げんげんも つつじも時と 咲きいでて
佛(ほとけ)生るる 日に逢はんとや
〈げんげん(レンゲソウ)もつつじも一斉に咲き出した。お釈迦さまのお生まれになった日に出逢おうとして咲いたのだろうか〉
これらの花は自らの命をいっぱいに使って、花御堂の屋根をきれいに飾っていたのでした。子規は、34歳の若さで亡くなるまでの7年間、結核と戦っていました。「子規」という雅号(本名以外につける風雅な名前)は、ホトトギスの別名といわれています。結核を患って吐血する自分自身の姿を、血を吐くまで鳴き続けると言われるホトトギスに喩えたものだったのです。その中で、仏教に出会えたよろこびを感じていました。そして、儚くも美しい花の命と自らのこころを重ね合わせて、この歌を詠んだのでしょう。
自然の大きな命のつながりの中で、私たちは生かされています。花祭りには、春に咲く草花の命を感じ、お釈迦さまのご生誕をお祝いしましょう。そして、生かされている自分を感謝し、あらゆる命の尊さに思いを致す日にしたいものです。