答えは体験から生まれる
(出典:書き下ろし)
阪神・淡路大震災、東日本大震災・大津波、広島土砂災害、その他各地で次々に起こる悲劇。災難にあわれた方々には、お掛けする言葉が見あたりません。それでも、「あえて一言お願いします」と言われたら、皆様はどのように語られますか。言葉がみつからないのに話さなくてはならない、つい最近そんな状況に遭遇しました。
以前から病気療養中だったFさんが、52歳という若さで亡くなられたのです。二人の子どもさんも二十代前半という若さですので、通夜式には今まで体験したことが無い程多くの若い方々が参列され、満席のホールは約三百名のお参りがありました。
そんな中、通夜式では必ずお話をさせていただいている私は、「今日はできない」と逃げるわけにはいかないのです。さんざん悩んだ後、次の話を致しました。
『きけ わだつみのこえ』という、戦没学生の手記がつづられた本があります。序文にフランスの詩人、ジャン・タルジューという方の詩があります。「死んだ人々は、還ってこない以上、生き残った人々は、何が判ればいい?」。亡くなられた方々は還っては来られません。では生き残った私たちは、何が判ったら良いのでしょうか・・・・・・。
私は、「現実を知る」ことが大切だと思います。それは、「この世は無常だから、若い方が亡くなられることもある」という意味ではありません。現実を正しく認識できれば、その現実に対して正しく対応できるからです。―中略
私は若くしてこのような体験をしたことはありません。しかし、ご家族、ご親族の皆様は、この三年間、真剣に「現実」と向き合ってこられました。自分の現実問題としてとらえられた方々だけにしかわからないこの体験は、必ず素晴らしい智慧を育んで、これからの人生を支える糧となってくれると思います。
『今、ブッダならどうする』(フランツ・メトカルフ著/2000年/主婦の友社)という本があります。苦しい時、悲しい時、ブッダならどのように行動されるか、という内容です。最後のページに、「ブッダならどうするかを知るために、ブッダならどうする?」という項目がありました。そこには、『増一阿含経』の引用から、「ほんとうの答えは自分にしか見つけられない」とありました。どのような名言・名句であっても、それらをすべて受け止めるのは難しいでしょう。なぜなら、自分自身の経験によって知った時に、初めてそれらの言葉が真実味を帯び始めるからです。