仏教的食育
(出典:書き下ろし)
最近、様々なところで食育が推奨されています。明治時代の医師(薬剤師)石塚左玄は、著作(『化学的食養長寿論』、『通俗食物養生法』)で「体育知育才育は即ち食育なり」と説いています。
食育とは、食に対する心構えや栄養学を学び伝統的な食文化を体験し身につけることで、子供の心身を養うというものだそうです。
お寺には食前にお唱えするというお経がありますが、それを元に作られた「食前の言葉」(『こころのともしび』建長寺発刊/現在は廃刊)をご紹介します。
天地一切衆生の恩徳を思い
己が行いを省み
貪りの心を離れ
心静かに良く噛みて
道業を成就せんがために
この食を戴きます
食べ物全ては天地(あめつち)の恵みからくるもので、感謝の心を忘れてはいけない。そして、この食事を戴くに値する行ないを果たせているのかを見つめ直し、食欲を満たす為ではなく道業(仏道)を成就するために戴くのだと戒めています。
あるお寺の閑栖和尚が遷化される数ヶ月前の話です。体調不良のため入院されたと聞いたので、息子さんにお見舞いを申し上げ、様子を伺いました。するとこんな話をしてくださいました。
皆の心配をよそに、頑固で困っています。体調が悪化し流動食をとるようになり、医師からは「誤嚥を防ぐ為に横向きに寝ながら食べてください」と指導を受け ました。ところが翌日、起き上がって食べていたので先生から注意されました。しかし「そんな行儀の悪い食べ方はできません」と言って聞く耳を持たなかった そうです。
閑栖和尚が、病床にあって姿勢を正したのはなぜでしょうか。それは、たとえ流動食に代わっても命をつないでくれている食べ物に対する感謝の心を忘れてはいけないという強い思いがあったからです。最後まで仏の教えを信じて貫き通したのは、道業を成就する為であったのです。
人は自らの命をつなぐ為に食事をします。生きる事とは、食べる事です。そして食べ物は尊い命であり、数えきれない人の手を経て己の前にあります。都市化が 進み子供のみならず我々大人も食の生産や流通の現場に触れにくい環境にあり、さらに飽食に慣れ食に感謝する気持ちを忘れてしまいがちです。農業体験や収穫 体験、実際の調理といった経験も有効ですが、そこに食前の言葉を付け加えることで、さらに真理に近い食育が出来るのです。
最後に、「食後の言葉」(『こころのともしび』)もご紹介します。合掌して大きな声で唱えましょう。
衆生馳走のたまもの
今すでに受く
願わくばこの力をいたずらに
消すことなからん