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日本臨済宗祖 栄西禅師の教え

(出典:書き下ろし)

rengo1405.jpg 平成26年4月1日から6月5日まで、京都建仁寺開山・栄西禅師八百年大遠諱の慶讃行事が執り行なわれています。
 栄西禅師は平安時代末期、1141(保延7・永治元)年4月20日、岡山県吉備津神社の神官の子としてお生まれになりました。幼少より、近くの天台宗安養寺の静心和尚につき天台密教の手ほどきを受け、14歳で京都比叡山にて受戒、正式に天台宗の僧侶となり、天台宗の宗風を大いに宣揚されたのです。
 その後、栄西禅師は二度の入宋(中国渡航)を果たされます。最初の入宋は28歳、その目的は天台山に登り、天台教学を学ぶ事でした。しかし、この時、天台山は天台宗ではなく、臨済宗に変わっていたので、天台教学を学ぶ事ができず、わずか6ヵ月の滞在で帰国されます。そして47歳の時、二度目の入宋を果たし、陸路で天竺(インド)を目指すも、蒙古の影響により通行許可が得られず、一方海路では船が難破して吹き戻されてしまい、再度20年前に訪れた天台山万年寺に登られたのです。その万年寺で栄西禅師は宿縁の師である、臨済宗黄龍派の禅僧・虚庵懐敞(きあんえじょう)禅師と初めて会われた時に、一つの問答が交わされました。
 虚庵禅師が栄西禅師に「天台密教の極意を一言で表わしてみよ」と問われ、栄西禅師は「初発心の時、即ち正覚を成じ、生死を動ぜずして、涅槃に至る」と答えられました。その意は、「お釈迦様の教えを学びたいと思い、善き師・善き友に出会い、正しい教えを学ぶ時、その時生きたままお覚り(成仏)を得る」となります。
 この言葉には、遥か2600年前のお釈迦様の物語が関係しています。お釈迦様の弟子の阿難尊者がお釈迦様にたずねられます。「善き師・善き友に会うということはお覚りの半分を得たのと同じですか」。お釈迦様は答えられました。「善き師・善き友に会うということは、お覚りを得るのと同じことだ」と。
rengo1405-1.jpg 虚庵禅師、栄西禅師共に、このお釈迦様と阿難尊者の問答を知っておられたのでしょう。この一句を聞いた虚庵禅師は大きくうなずき、「見事なお答え。その一句は、わが禅宗の見解となんら変わるものではない」と天台密教僧としての力量を認められたのです。その後、虚庵禅師は栄西禅師より天台密教の灌頂の法を授かり弟子となり、栄西禅師は虚庵禅師より印可を授かり臨済宗黄龍派の法を嗣がれ、お互いを善き師、善き友であると認めあわれたのです。
 天台宗、真言宗、浄土宗、臨済宗と多くの宗派があり、念仏を唱えたり、坐禅をしたり、色々な修行の方法はありますが、本来の仏道は宗派によらず、求めるところは、生きたまま成仏することではないでしょうか。どうか皆様も御縁を頂いた善き師、善き友と共に、仏道修行に励んで頂きたく存じます。「初発心の時、即ち正覚を成じ、生死を動ぜずして、涅槃に至る」。
合掌

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