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花を褒める

(出典:書き下ろし)

myoshin1404a.jpg散りゆく桜を惜しみながら眺めていると、池の表面に浮かぶ花びらが愛おしく感じられます。咲いて散るまでの数日間、宴に賑わう人々をここぞとばかりに集めて、桜の花は一体何を語りかけてくれるでしょう。
 詩人のまどみちおさんは詠います。

「さくら」 
さくらの つぼみが
ふくらんできた
と おもっているうちに
もう まんかいに なっている
きれいだなあ
きれいだなあ
と おもっているうちに
もう ちりつくしてしまう
まいねんの ことだけれど
また おもう
いちどでも いい
ほめてあげられたらなあ…と
さくらの ことばで
さくらに そのまんかいを…

 この詩に触れると、桜そのものにも「いのち」が宿っているのだと気づかされます。そんな桜のいのち、花びら一枚の息吹を、私たちは本当に観ているでしょうか。まどみちおさんのように「さくらのことば」を使って褒めてあげたいと思える人が、果たしてどれだけいるでしょうか。
 同様に私たちは、目の前の人に対して、一体どう感じてどんな言葉を使っているでしょう。
 私たちの周りには、いつも誰かがいてくれます。その人は、じっとこっちに向かって綺麗な花を満開に咲かせてくれています。その沈黙の愛情の中に包まれて、花満開の下で私たちは生かされています。だとしたら、その愛情に目を向けなければならない筈です。その人と心ひとつになって喜びも悲しみも分かち合っていけるなら、この場はいつでも楽しい花見の真っ只中のはずです。
 
 風に吹かれ散りゆく桜の花びらは、どことなく憂いを感じさせます。そんな中、池に浮かんで漂う姿を眺めていると、その瞬間でさえも、最後まで懸命にいのちを生かしているように思えます。散りゆく桜のように、人だって儚いいのちです。でも今は、既に満開に咲き誇っていることを知るべきなのです。美しく咲き続ける時間は今しかありません。
 お互いに花の美しさを感じたなら、一度でも目の前の人に感謝を込めて褒めてみたいと思いませんか。だって私たちは、伝えたいと思ったことを伝えることができる「人のことば」を具えているのですから。

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