桜がつないだ「絆」
(出典:書き下ろし)
今年も桜の季節がやってきました。短期間しか咲かない花なのに、その美しさは喩えようが無く、この花にまつわる思い出や逸話は限りありません。中でも、あの「一切経版木」六万枚を作ったとされる鉄眼道光禅師(黄檗宗・1630~1682)の桜に関する逸話は忘れられません。
人の絆、縁というものの不思議さを教えてくれる話として、是非とも知っていただきたいことですから、お話ししましょう。
鉄眼禅師は、多くの経典をいちいち書写している内、この煩わしさがなくなるよう、また経典を流布するためにとの想いから、一切経(正式には大蔵経)の版木製作を決意しました。
しかし、版木を彫ったり印刷するための彫師や摺師への賃金、版木材料の板や印刷用紙の購入をするために莫大な経費が必要です。そこで勧進のために全国を行脚することとし、その第一歩を京都三条大橋の上で始めました。
ちょうど、馬に乗った武士がやってきたので、彼は自分の願心を述べ、募金をお願いしました。しかし、武士は素知らぬ風です。最初に出会ったこの武士から募金が受けられないなら、自分の大願は決して成就しないと鉄眼は必死です。断る武士に必死について行く内、いつしか二つの峠を越え大津まで来ていました。
茶店で休んでいる武士に、鉄眼は今一度とお願いをしました。ついに彼は、腹をたてながら一文銭を路上に投げ出しました。
彼は名を溝口源左衛門信勝といい、その後吉野山の桜を守る代官に出世していました。
版木には堅くて摩耗しにくい桜材が欠かせません。それには吉野山の桜が最適です。鉄眼は、代官に何とか協力してほしいと頼みにいきます。代官は、鉄眼を一目見るなり驚きました。なんと、あの一文銭を投げ出したときの僧が眼前にいるではありませんか。彼は鉄眼との不思議な因縁を感ぜずにはおれません。いつしか鉄眼のために自分ができることは何か、一所懸命考えていました。「そうだ!自分の使命は吉野桜を守ることだが、その桜を活かすことも使命であるのだ」。
溝口の必死の嘆願により幕府は、ついに桜の樹の伐採を許可しました。たくさんの桜の板が、黄檗にいる鉄眼の元に送り届けられました。
今も黄檗山宝蔵院では、六万枚の吉野のヤマザクラ材で作られた版木で経典が刷られています。
人と人の結びつき、縁、絆を大事にしたいものです。