松も竹も、あなたもわたしも
(出典:書き下ろし)
新緑が鮮やかな季節になりました。皆さんの近所でも、草木がすくすくと伸びているでしょう。そこで今回は、こんな言葉を紹介したいと思います。
松無古今色 竹有上下節(松に古今の色無く 竹に上下の節あり)
松も竹も、縁起物としてよくお寺などに植えられています。「松竹梅」という呼称もありますね。一方で、松と竹には色々な違いもあります。成長する早さが極端に違いますし、中空の節になっているのも竹独特の特徴です。冒頭の句は松と竹それぞれの特色を表した物ですが、あえて意訳するなら、「変わらない物も変わる物も、それぞれに特徴がありますよ」とでも言えるでしょうか。
当たり前のように聞こえますが、実はこれこそが、禅の考え方なのです。同じ植物であっても、それぞれに備わった様相があり、それぞれに異なった美しさがあります。「個性」と言い換えてもよいかもしれません。「松と竹、私とあなた、それぞれの特徴を理解し、ありのままに受け入れることが大切ですよ」と、この言葉は教えてくれます。
ですが、ただ単に「違いを知れ」というだけの話ではありません。昔々のこと、ある偉いお坊さんがいらっしゃいました。その噂を聞きつけた領主が、お寺を建ててお坊さんを招こうとしました。が、お坊さんは行こうとしません。領主があきらめていたところに、ひょっこりと例のお坊さんが現われ、「今日はたまたま来る気になった」と言って、そのままそのお寺に住み着いてしまいました。
何とも気まぐれなお坊さんですが、京都の天龍寺を開かれた夢窓国師はこうおっしゃいました。「このお坊さんの真意こそ、『松無古今色、竹有上下節』である」。すなわち、昨日と今日が常に同じだと思ってはならない、割り切って別々に考えよ、と警告を発しているのです。例のお坊さんはおそらく、この考えを身を以て示されたのでしょう。
全ての物事は、同じであり違ってもいます。この真理をありのままに受け入れられたなら、この世の中は何と美しいことでしょう。そこには好きや嫌いといった感情も、悩みや苦しみといった要素もありません。誤解を恐れずに言えば、悩み苦しみは全て、この言葉にあるとおり、物事を受け入れられないために起こるのです。
「何で私の理想は松なのに、現実は竹なのか」と悩む前に、ちょっとだけ落ち着いて考えてみて下さい。あなたを悩ませている松と竹はどう違いますか。それはひょっとして、同じものではありませんか。そして、あなたは違う点にとらわれすぎていませんか。そんな時にはこの言葉を思い出して頂ければ幸いです。
合掌