えんま祭り
(出典:書き下ろし)
三寒四温と言いますが一月末の暖かさは続かず、いつも通り寒が戻り、豪雪に各地苦しんでいます。そんな中、宇和島は雪と無縁で春を告げる「えんま祭り」が始まります。
今年は少し早いのですが、花壇作りに精を出しています。崖下のスペースの石を運び出し、昨年来落葉を鋤き込んで作った土を運び入れ汗を流していると、その周りでは一昨年植えた花木の花芽が膨らんでいました。
坂村真民さんの詩に「病が又 一つの世界をひらいてくれた 桃咲く」と、桃は厳しい寒さの中で蕾を膨らませ、一斉に咲き花を終えると枝をぐんと伸ばします。寒さは美しい花を咲かせる為には必要なのです。
「えんま祭り」は勧善懲悪を説き、心の成長を願う春待ちのお祭です。本堂の中には八畳もある閻魔様の軸を筆頭に所狭しと地獄極楽絵図がかけられます。
親は「嘘をつくと舌を抜かれるよ! 悪い子は地獄の修行が待っているよ!」と地獄絵図を見せていきます。一昔前は泣く子供が大勢いましたが、最近では少なくなっています。なぜかと思い本堂を見渡すと、躾の場として「えんま祭り」を利用する親の姿が少ないようです。最近では保母さんが引率し、ガイドのお姉さんが説明をしています。そこには鬼のような形相がありません。やはり絵だけでは泣けないのです。親の真剣な思い、恐い顔が子供に地獄を感じさせていたのではないかと思うのです。
「えんま祭り」は人格形成に大きな役割を果たすことがあります。
線香を売っていると、一人の茶髪の青年が声をかけてきました。思いを巡らすと酒場で知り合った青年達の一人でした。昔ガキ大将だったことを自慢していました。
「珍しいな。えんま様に来るなんてどういう風の吹き回しだ。酒を飲んで与太ばかり飛ばすと地獄行きだぜ」。「俺、与太は言うけど騙さないよ、親にえんま様の教育をされたからな。そう言えば母ちゃんに連れてこられた時は泣かなかったけど、ばあちゃんに連れてこられた時は怖くて泣いたな」。「え・・・なんで!?」。「ばあちゃんは毎朝30分ぐらい仏壇の前でぶつぶつ言ってる。母ちゃんはご飯を供えチンチンでおわり。その姿を見ながら、ばあちゃんは死んだ人と話ができると子供の頃思ってた。だから、ばあちゃんがえんま様の前で掌を合わせていると、告げ口をされている様で恐くて」。
祖母の後ろ姿は、子供に地獄を信じさせる尊いものだったのです。身なりは不良の様でも、嘘が嫌いで仲間を大切にする青年に育てたのです。「えんま祭」は死後極楽行きを祈願する祭ではありません。地獄絵図を前に自分の善悪の心と真っ直ぐ向かい合う時、深い信心を生むのです。
「禅の修行とは懺悔と礼拝である。礼拝とは懺悔と感謝であって、人の心が正しく育つのはこの心です」と、故藤井虎山老師(前佛通寺派管長)は言われたそうですが、仏壇の前で手をあわせ心静かに礼拝する日常は、自分の心だけでなく周りの人の心も変えていたのです。合掌の心を引き継ぐ時、自分の心に花を咲かせ、その輝きは人の心に信の種をまいているのです。