祈り
(出典:書き下ろし)
仏教では、この世の中は”一切皆苦(いっさいかいく/すべてのものは苦しみである)”と表わします。ここでは”苦”とは「自分の思い通りにならないこと」と訳すことにします。
我々は生まれて来て、やがて歳を重ね、場合によっては病に倒れ、そしていつか必ずこの世を去らなければなりません。この”生老病死(しょうろうびょうし) “は、「自分の思い通りにならないこと」の代表格です。我々はこの”生老病死”という”苦”から逃れることは不可能なのです。どうにもならない我々はどうしたら良いのでしょうか。
東日本大震災から今月の11日で3年の月日が経過します。この3年間”復興””再生””鎮魂””絆”……様々な言葉が叫ばれ続けてきました。その叫ばれ続けてきた言葉の中の一つに”祈り”があります。
苦しみが多いこの世の中ですが、明るい話題がありました。昨年11月3日、プロ野球被災地球団の東北楽天ゴールデンイーグルスが初の日本一の栄冠を勝ち取ったのです。
震災直後から楽天の選手達は毎週の様に避難所等を訪れ、現地の方々との交流を深めてきました。過酷な生活環境の中、被災地の方々が選手からどれだけ未来への望みを受け取ったのかは、優勝の瞬間の被災地の喜び様を見れば一目瞭然でした。市内中心部を通行止めにして行なわれた優勝パレードでは、「優勝おめでとう!」の言葉を上回る「ありがとう!」というファンからの感謝の声援が沿道に響き渡りました。被災地の方々は楽天の選手達に希望の光を見て、祈っていたのではないでしょうか。
「野球を続けたいという息子にプレゼントしてくれたグローブのこと、まだ〇〇選手は絶対に覚えてくれているはず」。「これからも一緒に頑張っていこう!と今でも思ってくれているはず」。そんな”希望”や”祈り”があったのです。
神仏に対してだけではない、そんな祈りが、まだまだ思い通りにならない復興の原動力になっているのです。
被災地での不自由な生活の中で、多くの感動と、そして生きていく希望を我々に与え続けてくれた被災地球団。選手を身近に感じ、復興を信じ、どんなに離れていても、どんなに時間が経っていても、あるいは先が見えなくても、そんな”祈り”や”希望”を持ち続け、”祈り”は届くと信じることができれば、苦しみは苦しみでなくなり、我々は前へとその歩みを進めることができるのではないでしょうか。
”祈り”とは苦しくて思い通りにならないこの世の中で生きていかなければならない我々の”こころの拠り所”なのかもしれません。
合掌