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本物の御馳走をいただきましょう

(出典:書き下ろし)

rengo1401.jpg 明けましておめでとうございます。本年も皆さまが御健勝であられる様、祈念申し上げます。
 「言葉は生き物」と言われる事がありますが、毎年、様々な言葉が生まれます。昨年も色々な言葉が生まれ、流行りました。中には「言葉の乱れ」と感じるものもありますが、一概にはそうは言えません。何故なら私達が普段使っている言葉にも元の意味から変化し、生まれてきたものがあるからです。
 今、NHKで『ごちそうさん』が放映されておりますが、皆さんは『御馳走』と聞いてどういった物を思い浮かべますか。一般的には高価で豪勢な料理や自分の大好物等を指します。
 勿論、そういう使い方でも間違いではないのですが、辞書には「客の為に奔走して材料を集め、食事を出してもてなす事」とあります。そして、この馳走という言葉、実は元の生まれは仏教用語なのです。仏教用語としての意味は「他人の為に奔走し、功徳を施して救う事」です。他人への施しが食べ物である場合が多かった為、御馳走=食べ物、との認識が強くなったのでしょう。
 注目すべき点はどちらも「他人の為」である事、「物」ではなく「行ない」を指している事です。ですから本物の御馳走とは自分一人では決して得られないのです。他人を思い、功徳を施す事こそが御馳走であり、またその施された功徳、御馳走に心から感謝の思いを持ち、それらに対して「御馳走様」と言える事で初めて本物の御馳走を両者が頂けるのです。
 ある御夫妻が結婚の報告で経済的に少し貧しい家を訪問されました。するとそこの御主人が非常に喜ばれ、精一杯もてなそうと、物が無い中でもお茶とお菓子を振る舞ってくれました。しかし出された物を見ると、お世辞にも綺麗とはいえない茶碗に注がれたお茶となんだか干涸びた様なお菓子でした。それを前に妻の方は「これを口にするのか…」と躊躇しました。しかし夫の方は美味しそうにそのお茶とお菓子を頂き「御馳走様です」と笑顔で言いました。するともてなしてくれた御主人もさらに嬉しそうな笑顔になりました。
 出されたお茶とお菓子にはお目出度い報告に来てくれた客をどうにかもてなそうという御主人の心が詰まった物でした。夫の方はその心に感謝し、「御馳走様です」と言ったのです。それを横で見ていた妻はその二人の姿に感動し、「この人と結婚して良かった。」と心の底から思ったそうです。
 本物の御馳走(功徳)には、施した人、施された人、その周りの人、皆なを幸せに出来る程の力があるのです。
 どうぞ皆さまも、時に御馳走(功徳)を施す側で、また時に施される側で、本物の御馳走を味わい、周りの人を和やかにする幸せを感じて参りましょう。

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