心とかたち-躾-
(出典:書き下ろし)
だいぶ前のテレビでのことです。街頭にてボードに「躾」という字を書いて通行人にインタビューしていました。読める人、読めない人。赤ちゃんを抱っこした若いお母さんが「ダイエット」と読みました。このお母さんは読めたのです。「型にはめて育てたくない」というコメントが付きました。「身」が「美しい」即ち「ダイエット」となったのでしょう。
「躾(しつけ)」とは、「型に填める」ことです。しかし、ただ単に「型に填める」事ではありません。型の中に心が込められています。「型」を身に付ける事によって「心」が身に付くのです。
文武両道にわたって「型」を大切にするのが日本の文化です。代表的なものに「茶道」があります。「お点前」という「型」を身に付ける事によって、お点前に込められている心が身に付つくのです。行儀作法、食事作法、礼儀作法等々です。
「作法」とは、①「事を行なう方法」②「起居、動作の正しい法式」(『広辞苑』)です。今日、食事作法、礼儀作法が乱れています。「頂きます」「ご馳走様」を作法として厳粛に行じている家庭がどれほどあるのでしょうか。「食事作法」に込められている、「いのちの尊さ」「感謝の心」「祈りの心」が身に付いていないのが実情ではないでしょうか。
「礼儀作法」で挨拶の形は、正座して、両手をハの字に膝の前につき、頭(額)を付ける形です。この形は、己を一番小さく、頭を低くした姿かたちです。相手を尊ぶ心、敬う心、謙譲の心を現わしています。
今、躾の場が無くなりつつあります。所帯の構成で、一位は「親子」、二位は「独居」。老人や未婚の一人住まいですが、十年もすれば逆転するといわれています。
「躾」によって日本の文化、日本人が支えられています。「大和心」の危機です。
亀井勝一郎さんの言葉に、「愛情とは、凝視することである」とあります。目を逸らさない、見て見ぬ振りをしない、ということです。少々波風が立っても、言うべき事ははっきりと言うことです。
檀家の金子家は、六人姉妹です。全員長崎県内に住んでおられます。お父さんが急に亡くなられました。葬儀が終わり火葬場での事です。孫の一人が、放心状態で、「おじいちゃん」と叫びながら号泣し始めました。すると、十人程居た孫たちが一斉に「おじいちゃん」と叫びながら、泣き始めました。異様な光景でした。若い夫人が泣き崩れる姿に出会ったことはありましたが、孫が、おじいちゃんのために号泣する姿に出会ったのは、初めてのことでした。
優しいおじいちゃんでしたが、優しいだけではなく、躾厳しい、おじいちゃんでした。何時の日かわかってもらえるのです。
愛情込めて、厳しく躾けねばならないと思います。「躾」を通じて「日本の文化」「日本の心」を守り、育ててまいりましょう。
不是一番寒徹骨 是れ一番寒骨に徹せずんば
争得梅花撲鼻香 争(いか)でか梅花の鼻を撲(う)って香しきを得ん
(『中峰広録』)