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“一”から始まるこの一年!

(出典:書き下ろし)

myoshin1401a.jpg 大晦日を迎えると、一幅の掛軸を書院に掛けて正月支度をします。この軸には”一”と一文字だけ力強くしたためてあり、前妙心寺派管長を務められた東海大光老大師にお書き頂いたものです。
 この”一”の持つ意味はなかなか難解ですが、茶の湯の大成者である千利休の言葉として、「稽古とは一より習い十を知り、十よりかへる元のその一」と伝わるように、何事も其の本を大切に一から一年を始め、一年の終わりにはまた一に帰るとの思いで掛けています。

 釈尊が、弟子たちを導くためにお説きになられた話の一つです。
 とある金持ちが、大工に三階建ての家を作るよう命じます。そこで、大工は最初に地ならしをして基礎を築き、一階から二階へと建てて行こうとします。すると、金持ちは「一階も二階もいらないから、早く三階を作れ」と命じたと言われています。
 譬え話は、聞き手の力量で色々と解釈されるものですが、ここでは平易に考え、一階や二階のない三階建てはあり得ないとすると、物事には順番があって、順番を無視してしまっては物事がうまく運ぶことはないと取れるのではないでしょうか。

 私が修行道場を下山した二十歳代後半。茶の湯の稽古を再開したばかりのときのこと。師匠は厳しくも懐の深い、強さと優しさをあわせ持たれた、人物の大きい方でした。
 夏の終わりの稽古場での出来事です。朝、お稽古に上がりますと、弟子仲間が集まり始めていました。稽古場では師匠と他の弟子達が会話中です。私は会話に割り込んだら失礼になると思い、いつでも挨拶のできる場所に控えて座っていました。
 すると、不意に「吉富くん、なんで挨拶せんのかな。師匠の前に出たらすぐに挨拶をせな。これはな、稽古以前の問題やで」と、厳しくもありがたい注意を受けたことがありました。
 私は、挨拶に始まり挨拶で終わるという、茶の湯の持つ和敬の精神と順番を忘れていたのです。これでは物事は進んでいきません。挨拶が、茶の湯における其の本の一つであると、改めて勉強させて頂いたことでした。
また、これは茶の湯に限った話ではないと思います。何事も”一”という其の本に気づき、将棋の歩の駒のように一歩一歩目標に向かって前進していくしかないのです。
 年頭にあたり、「おめでとう」と挨拶をしたら、自分がやることをしっかりとなし、一歩一歩と前進してまいりましょう。そして、一年の終わりには「有難う、おかげさまで」と言える一年にしていきたいものですね。

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