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母を想う

(出典:書き下ろし)

myoshin1312a.jpg 『心地観経』というお経に、私達がこの世で受ける四種の恩が説かれています。即ち「父母の恩」「国土の恩」「衆生の恩」「三宝の恩」の四つで、これを「四恩」といいます。その中の「父母の恩」について今回は考えてみたいと思います。何故なら、今の世の中で、このことがとかく疎かにされている気がしてならないからです。
 いうまでもなく、私達は皆な一人残らず宿業を因とし、父母を縁としてこの世に生を受けています。先祖あっての父母、父母あっての今の自分があるわけです。あたり前のことながら、このことをしっかり認識することが重要です。仏の教えそのものは、まず自分の命をみつめることから入らないと、本当のことは判らないと思うからです。
 私事で恐縮ですが、この秋に母の五十回忌の法要を営みました。母は昭和39年に49歳で、私が27歳の時に、この世を去りました。あまりにも早い旅立ちでした。しかし、親とは不思議なもので、亡くなった当初よりも、自分が歳をとればとるほど、親の歳に近づけば近づくほど、懐かしく感じられるものです。母が早逝したせいか、私には余計に生前の苦言やきびしさが、そう感じられるのです。

母という字を書いてごらんなさい
母という字を書いてごらんなさい
やさしいように見えてむずかしい字です
格好のとれない字です
やせすぎたり 太りすぎたり ゆがんだり
泣きくずれたり 笑ってしまったり
お母さんにはないしょですがほんとうです 
サトウ ハチロウ

 三島の龍澤寺の山本玄峰老師は、母という字を書くたびに涙を流されたという話を聞いたことがあります。父母を敬慕し、先祖あっての自分であり、この親にしてこの子があることを身をもって痛感されたからでしょう。

親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとづれ なにと聞くらむ

 幕末の志士、萩の松下村塾塾頭・吉田松陰の辞世の句です。安政の大獄で処刑される直前に歌ったものですが、処刑の知らせはすぐに親元にもとどくだろうが、その知らせを聞いて親はどんな気持ちがするだろうかと、先立つ不孝を詫びた歌でもあります。
 『父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう)』(父母の恩をわかり易く説いたお経)に、「父母の恩重きこと天の極り無きが如し」また、「己れ生ある間は、子の身に代らんことを念(おも)い、己れ死に去りて後には、子の身を護らんことを願う」とあります。
 自分が生きている間は、子供のためには自分の身の危険をも顧みない、この世を去ってから後も子供を護りたいと願うという、正に、命をかけた無償の愛、それが親心なのです。
 私の母は確かに50年前亡くなりましたが、姿は見えずとも、今も私の中に生き続けて見守っていてくれていると信じて疑いません。

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