素顔の心で
(出典:書き下ろし)
11月に入り、めっきり秋らしくなってまいりました。過ごしやすい気候の中で、ご自身の趣味などに打ち込まれるには絶好の時期ではないでしょうか。
さて、秋の訪れとともに建仁寺に拝観に来られる方の中で、写経を希望される方が増えてまいりました。写経とは文字通りお経の一文字一文字を浄書することによって、自らの心に「仏のおこころ」を写していただくというひとつの「行」です。
『六祖壇経』というお経の中に「常行一直心」(常に一直心を行ず)という言葉が出てまいります。「直心」とは素直で嘘偽りのないまっすぐな心をさします。すなわち「常に純粋でまっすぐな心をもって何事にもあたりなさい」という意味です。
昨年、私が住職をするお寺の檀家様で、幼いお子さんを亡くされた方がおられました。葬儀を終えた後も、その方は大切な我が子を亡くされたショックで非常に憔悴しきったご様子でした。そんな彼女に対して私は「亡くなられた子供さんの御供養のためにも、是非お書き下さい」と申し上げ、写経用紙をお渡ししました。
写経と聞いて最初は難色を示されていた彼女も、薄く書いてある経文をなぞるだけでよいということを聞き、お持ち帰りになられました。そして翌月の四十九日法要の際に彼女は再び来山され、写経用紙を持ってこられました。先月来られた時よりは幾分表情もやわらかくなってはおられましたが、写経を見せて頂きますと、文字をなぞることも困難な様子で、枠からはみ出した字も多く見受けられました。それから、彼女はお子さんの月命日には必ずお寺にお参りされるようになり、その都度お写経も奉納されるようになりました。すると、お会いするたびに彼女の表情が明るくなり、何よりも写経が以前とは比べ物にならないほど美しくなっていました。あれだけ枠からはみ出していた文字も美しく整い、字の太さも均一に書かれるようになっていました。
彼女は、「一字一字心を込めて書かせて頂いているうちに、不思議と心が静かで穏やかになってくるのがわかりました。今思えば私は家族、親戚、友人、恩師等多くの方々から心を配ってもらい、支えられていました。今はそんな方々に対して何か恩返しがしたい」と言われていました。
彼女は写経という「行」をひたすら続けていかれる中で、お経の一文字一文字を「仏のおこころ」と信じて、ご自分の心に写していかれたのです。そして、自らの心に一筋の光を灯され、自らの「仏のこころ」に気付かれたのではないでしょうか。そして、苦しんでいる自分自身を親身になって支えてくれた方々への感謝の念が自然と心から湧き出でてきたのです。彼女のこの心こそ嘘偽りのない純粋でまっすぐな心、「直心」に他ならないのです。
皆様も機会があれば、心静かにお写経をして頂き、自らの素直でまっすぐな「直心」を見つめて頂ければと思います。