予期せぬ出会い
(出典:書き下ろし)
いつも利用している某ホテルのフロントで、係の男性が「失礼ですが、ご住職様でしょうか」と問われるので「そうですよ」とお答えしますと、「私の祖母は方広寺派の末寺の檀家ですが、禅が好きで坐禅会やお寺でのお話があれば喜んで出かけていました。私などにも臨済禅師の”無位の真人”の話や祖録の話をしてくれました」とおっしゃるのです。
ホテルのフロントのカウンター越しに、若い係員と誰がどこから見ても僧侶にしかみえない二人の会話は、周りの人たちの注目を浴びていました。改めて臨済禅師の偉大さと、平成28年に迎える遠忌の意義を深く感じました。来客も少ないようなので、私も彼に話を続けたのです。
この間 長男がトルコを旅行してきました。お土産はカッパドキアのイラストが描かれたTシャツと、13世紀に実在したナスレッディン・ホジャさんの逸話集でした。Tシャツは、誰もが心では可笑しいと思っていても、口では可愛いとかセンスが良いと言ってくれるので、素直に喜んで着ていたのです。そんな折、女子大生二人が殺傷されるという事件が起こり、以後着用を自粛したまま今日を迎えています。
一方、ホジャさんの逸話集は、一目通して大変興味を引かれ、感動さえ覚えたのです。達人は宗教宗派を問いません。ホジャさんはイスラム教の説教師であり指導者です。お話を紹介しますと例えばこんな風です。
ホジャさんが招かれたお家にいつもの粗末な服装で出かけたところ、応対がよくなく、急いで帰ってこの上ない外套を着て出直した所、主人が出迎えて広間の上席に案内され、スープが出てきたのです。ホジャさんは外套の袖をスープに浸し、外套に「どうぞ召し上がれ」と言ったそうです。見かけで値打ちをはかることへの戒めですが、同じ様な話が『一休ばなし』にも見られます。
他にも、2人の奥さんに「自分たちの乗った船が沈んだらどちらを助けるか」と問われ、年寄りの方にむかって「あなたは泳げるんだったね」と返した当意即妙のやりとりなど、わが国の妙好人といわれた人などに匹敵するものなのです。
フロントの彼は、さらにお祖母さんから教えられた祖録の難解さを語り、共にこのようなご縁を作ってくださったお祖母さんに感謝の意を捧げながらカウンターを離れたという、つい最近の出来事でした。
人は見た目で人を量ってしまいがちです。先月のニュースに、父娘が同乗の車で踏切に差し掛かったところ、踏切内で倒れている人を見つけた娘さんが、「助けなきゃ」の一声、傍らのお父さんの制止を振り切って救助に向かい、男性を救助し、娘さんは亡くなられました。
「助けなきゃ」。その人が誰であれ、レッテルを見てではなく、助けずにはいられまいという心に、菩薩の姿を見せられ、手を合わさずにはいられませんでした。