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いのちは時間

(出典:書き下ろし)

myoshin1310a.jpg 猛暑の夏も去り、朝夕と肌寒く感じる今日この頃、日増しに秋も深まってまいりました。ついこの間お盆を迎えたと思ったら、いつの間にかお彼岸も過ぎ、早や10月。月日が経つのは本当に早いものです。
 禅語に「生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人」とあります。生死は事大、あっという間に時間は過ぎ去って行く、全ての事は移ろいゆく、 時は人を待ってはくれない、そのような意味です。
 私は今年で40歳を迎えました。このごろは一日一日が、瞬く間に過ぎていきます。ボヤっとしていると、いつの間にか人生の終焉を迎えてしまいそうです。
 人生時間というのをご存じでしょうか。人生を1日の24時間であらわし、長い人生を短い時間に置き換える考え方です。自分の歳を3で割ってみると、自分の今、生きている人生の時間がわかるといいます。
 私は今40歳ですから、3で割ると、13.333・・・・・・です。ちょうど、午後1時を回ったところです。そう考えてみますと、自分の残された人生の時間をどう使っていこうかと真剣に考えます。
 10月4日に満歳を迎える現役の医師で、聖路加国際病院理事長の日野原重明先生という方がおられます。先生は、全国の子どもたちに命の大切さを教える「いのちの授業」をされています。その授業では、実際に聴診器を使って、お友だち同士で心臓の鼓動の音を確認させます。その後に先生が生徒たちに問いかけます。「皆さんのいのちは、どこにあると思いますか」子どもたちは、みなそろって、「心臓がいのちです」と答えます。
 「心臓というのは、命を保つために血液を全身に送りだすポンプに過ぎない、心臓がいのちそのものではありませんよ」と先生は答えます。では、いのちの実態とは何でしょうか。目に見えない、形がない、いのちとは、自分の使える時間のことだと先生はおっしゃいます。
 なるほど。そう考えてみれば、私たちはオギャーと生まれてから、刻一刻と死に向かって生きています。1日生きれば、1日死ぬということ。まさに、「生死は事大 光陰(時間)惜しむべし 無常は迅速 時、人を待たず」。いのちは時間だといえます。その時間は、皆に平等に与えられています。その時間をどう使うかは、私自身です。まだまだと思っている間に、時は過ぎ去っていきます。時間に使われるのか、自分が時間を使っていくのか、過ぎ去る日々を前に思いをめぐらせます。今、このときを大切に。

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