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龍野の赤とんぼ

(出典:書き下ろし)

rengo1309.jpg 思わず「うるさぁい!」と叫びたくなるような蝉の声も、いつの間にか聞かれなくなりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。私がお預りしております兵庫県たつの市(旧龍野市)にある宝林寺は、臨済宗大徳寺派本山、大徳寺の開山宗峰妙超禅師(興禅大燈国師・1282~1337)の生誕地を記念して建立されたお寺です。
 大燈国師には、花園天皇の皇后をはじめとした女性の参禅帰依者も多くおられ、また大徳寺山内には、女性が開基に係わる塔頭(寺院)が点在しています。「天然の気宇王の如し、人の近傍する無し」と称せられる国師の剛毅、峻厳、枯淡な宗風の根底には、どこまでも懇切に説き来たり説き去る為人度生(いにんどしょう)の大誓願が流れていて、それが自然に女性を引きつける魅力となっているのかも知れません。そしてその源には、11歳の時にその元を離れた母、武将赤松円心の姉とも伝えられる慈母への思慕の情が少なからずあるのではないだろうかと、ひとり勝手な想像をたくましくしております。
 龍野は、大燈国師の故郷であるとともに、「赤とんぼ」の故郷でもあります。

  夕焼、小焼の、山の空
       負われて見たのは、まぼろしか  (1番の歌詞)

三木露風33歳の大正10年8月号の児童教育雑誌『樫の實』に「赤蜻蛉」と題し発表されましたが、同年12月に発行された童謡集『眞珠島』では、

  夕焼、小焼の、あかとんぼ
      負われて見たのは、いつの日か (1番の歌詞)

と改められています。露風は、播磨の小京都、龍野の出身で最近生家が整備公開されていますが、この詞は北海道のトラピスト修道院で文学の講師をしていた時に(この頃から詞に宗教色が強まっているそうです)、窓の外の赤とんぼを見て郷里の幼少期を思い出して作られたということです。
 「赤とんぼ」には、夕陽、郷愁、郷里の自然、そして母への思慕……、山田耕筰のあのメロディーと相俟って、私達の琴線に触れる要素が凝縮されているのです。日本の童謡人気ナンバーワンの座を保ち続けているというのも頷けます。日本人の心の故郷には、いつも赤とんぼが舞っているのかも知れません。

  夕やけ、小やけの、赤とんぼ
      とまってゐるよ、竿の先   (4番の歌詞)

 童心に返って、無心に口ずさむ時、私と赤とんぼはひとつになり、時間空間の束縛を脱して、永遠無限の光明に照らされて舞い上がり、そしてふと気がつけば明歴々露堂々と竿の先にとまっているのです。夢かまぼろしか。今、此処で、まさに大燈国師や露風が眺めた原風景の中に私も立っているかのような思いに駆られるのです。
 記録的な猛暑も和らぎ、秋彼岸の時節となりました。皆様呉々も御自愛の程お祈り申し上げます。合掌

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