夏に涼風あり
(出典:書き下ろし)
八月は炎天三伏の候、私の在所である山梨県の甲府盆地は、連日三十五度を超える猛暑日。人間も草木も動物もグッタリしている酷暑の日々にあって、時折吹く涼風には、何とも言えない心地よさを覚えます。
中国宋代の禅僧、無門慧開和尚は、その著『無門関』に次の言葉を残しておられます。
春に百花有り、秋に月有り、夏に涼風有り、冬に雪有り。
もし閑事の心頭に挂(か)かる無くんば、便ち是れ人間の好時節。
春に咲く花の美しさ、夏の涼風など、四季のプラスの面を眺めれば、この世は極楽。反対にマイナス面だけを眺めれば、この世は地獄。しかし「プラスだのマイナスだのにとらわれることは、閑事(無駄ごと)である」と無門和尚は戒めます。
数年前、Kさんという女性の葬儀のご縁を頂きました。Kさんは、20歳で結婚、4人の子供を授かりますが、夫と家族から執拗ないじめを受け、子供とともに家を追い出されるようにして離婚。わずかばかりの畑を朝から晩まで一所懸命耕し、4人の子供を女手ひとつで育てました。辛苦の多い生涯ながら愚痴は一切口にすることなく、そんな状況すらも楽しんで生活していたそうです。「母は離婚後、仏教と出会ってから特に、辛さも苦しみも正面から受け止め、その時に出来ることを精一杯やることで、心を養っていたのかも知れません」と、ご遺族がお話して下さいました。
晩年は、少しでも人様のお役に立ちたいと東奔西走されますが、恩に着せることも自慢することもなく、人生の酷暑の真っ只中にいる方々にさっと手を差し伸べ、涼風を残して去っていく、そんな生き方をされたそうです。Kさんは、70年以上過ごした小さな住まいで、家に入りきれないほど多くの人に囲まれて97歳で静かに息を引き取られました。
前述の無門和尚の言葉の「好時節」とは、決して不幸や苦しみと無縁の人生を指すのではないと私は考えます。古代文字の甲骨文等で「好」という漢字に、母が子を抱きしめる形が見られるように、人生における全ての縁を大切に抱きしめ、自分らしく受け止め、何かを学び、発見し、自分のものとしていく生き方を示唆する教えではないでしょうか。そんな生き方が自然に身についたその先に、その人の足元から清らかな風が起こるという禅の境地が生まれるのかも知れません。
酷暑の今夏、熱中症の心配もありますので無理は禁物ですが、せめて夕方になったら外に出て、夏の涼風を感じてみたいものです。
よし(葦)あし(葦)の 葉をひっしひてし 夕涼み 白隠禅師
日常のよし(善)あし(悪)の出来事をひとまずは手放して、静かに夕涼み。そこにもまた、真実が存在するように思うのですが、いかがでしょうか。