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亡き人を通して、自らをしる

(出典:書き下ろし)

 お盆月になりました。全国的には、休暇や旧暦との関連で、月遅れの八月ですが、東京や静岡等では、新暦で行ないます。
 この季節になると、亡き 人が浮かんでまいります。病に倒れた後、障子の窓越しに天眼鏡で本や新聞の文字を拾っていた師父の姿が現われるのです。老いと病の中で、一日を懸命に生き ていたことが、その年齢を超えてみて、如実に伝わってきます。それまで”老人の医者通い”と揶揄して話してきたことが、他人事ではなくなりました。建物が 古くなると、配管等の設備が腐蝕して修理しなければならないように、身体の内部があちこち綻んできたことを身をもって知らされます。また、下り坂は、下る ほど、スピードが増しますから、踏ん張る気力が必要であることも……。
 それに引き換え、上り坂は違います。三才の孫が、旺盛な好奇心を 持って、「おじいちゃん!どうしてなの?」と質問を連発してきます。「ティーピーピーってなぁに?」。好きな乗り物のことかと思っていると、今話題 の”TPP”のことでした。勢いにまかせて坂を上っていく彼が、やがて人生には更に意欲と努力がいることを、師父の在りし日々を聞いて知らされることで しょう。

myoshin1307a.jpg  足腰の衰えを急速に感じ、思い切って生活様式を変えることにしました。座る和式から、洋式の生活に住構造を転換することにしたのです。RC構造は、密閉性 にすぐれ、部屋が独立した空間になることはわかっていたのですが、隣の音が耳に入るホテル程度の感覚しか持ち合わせていませんでした。住んでみると、全く 違いました。外部の音は完璧に遮断されて、坐禅には最適かと思っていたのですが、何かしっくりしてこない。窓ガラスを一杯に開けて外の空気を入れ、ドアを 開け放してみて、かえって落ち着いてきました。
 考えてみれば、禅堂も障子を開け放して、自然に肌で触れているのです。プライベートには好都合で も、音も周囲も気にせずにいられますから、極端に言えば、自我が肥大しやすい構造です。それに対し、障子越しに自然や人の気配を察するのが、畳や障子の生 活です。人の息使いを感じ、樹木や花、風や雨などの微妙な変化を感受する力を自然に備えさせてくれます。

 「観音さまは、三十三身となって身を現ずる」と、「観音経」に説かれています。今、観音さまが観える自分であるか、自らを見つめます。夏の日射しに照らされた水面に輝く睡蓮に、はっとして、その感動に生きていることの喜びをかみしめています。
 孫が、祖父である我が生きざまを胸にしては、自らをしる心の眼と耳を磨ける豊かな日々を過ごしてくれるよう念じつつ。

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