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ひと息入れましょう

(出典:書き下ろし)

 myoshin1305b.jpg四月から新生活を始めた方にとって、五月病というのは実に厄介なものです。はじめは慣れない環境を乗り越えようと、必死に頑張る方も多いでしょう。ところが、ゴールデンウィークを過ぎた頃、脱力感や不安感に襲われて心身の不調を表わすことがあります。そんな時に「頑張れ」と声をかけられても、むしろ逆効果になるかもしれません。ここはひと息ついて、あるがままの自分を見つめてみてはいかがでしょうか。正しく自分自身を見つめるには、一旦立ち止まることが必要です。「正」という漢字は、「一」と「止」に分けられるのですから。禅において「ひと息つく」ということには特別な意味合いがあるのですが、それが誤解されていることも少なくありません。
 たとえば、禅の修行には「温石(おんじゃく)」という言葉があります。お釈迦さまの時代より修行僧の食事は、午前中だけと決められていました。そのため、夜になるとお腹が空き、体温が下がってきます。そこで、懐(ふところ)に温めた石を抱いて飢えや寒さをしのぎ、ひと息ついたのです。こうして修行に励んだことから、今日の「懐石」の語源になりました。もともと懐石料理は、一般にイメージされるような「高級な和食」という意味ではありませんでした。茶の湯(茶道)において、お腹を温めるくらいの料理のことで、お茶の味を楽しむための空腹しのぎに出されていたのです。
 それから「姑息(こそく)」という言葉も仏教からきた言葉です。「姑息だ」というと、多くの方が「ずるい」、「ひきょうだ」という意味で使っていますが、これは本来の意味ではありません。一説によると「小癪(こしゃく)」に音が似ていることから混同され、それが一般化していったといわれています。「姑息」はいくつかの経典に「一時しのぎをする」という意味で出てきます。この「姑」には「しばらく、とりあえず」という意味があります。つまり「姑息」というのは「ひと息つく」ことをいうのです。
 妙心寺の生活信条に「一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう」とあります。腰にグッと力を入れて背筋を伸ばしてみてください。胸を張ってあごを少し引きますと、お腹を大きく使って息をすることができます。姿勢を正し、まず息を吐き切ります。すると、自然と大きく息を吸うことになります。そして、お腹の底から「ひとーつ」と、細く長く深く息を吐きます。この「息」という漢字は「自らの心」と書きます。身を調え、息を調えるというのは、即ち自ら心が調うということなのです。これは、何も坐禅をするときに限ったことではなく、日常生活の中で実践していただけることです。オフィスや学校の椅子に腰かけ、休憩時間に坐る。ほんの五分ぐらいの時間で行なうことができます。
 五月に入って、気分が落ち込んで体調が優れないという方は、坐禅の呼吸でひと息入れましょう。意外にもあっさりと五月病を吹き飛ばしてくれるかも知れませんよ。

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