人の幸せを祈る心
(出典:書き下ろし)
五月下旬には、お寺の境内のヤマアジサイが開花いたします。このアジサイは日本原産の植物で、世界に紹介され様々な品種が生まれました。
そのきっかけを作ったのは江戸時代に来日したドイツ人医師シーボルトでした。彼は、博物学者でもあり、日本の様々な植物を収集して、その中のホンアジサイに「おたくさ」と名前をつけます。この名前は彼が愛した日本人女性、お瀧さんから来ております。
しかし、彼はシーボルト事件で国外追放処分となり、お瀧さんと幼い娘を残し帰国せねばなりませんでした。日本で収集した植物と共に帰国した彼は、「おたくさ」と名付けたアジサイをお瀧さんや娘のことのように懐かしんで大切に大切に育てたことでしょう。その彼の思いが通じたのか、三十年後に国外追放処分が解け再来日し、お瀧さんと娘と念願の再会を果たせました。
これは、お寺の檀家さんのお話です。ある日、檀家さんがお寺に来られおっしゃいました。「両親は早くに亡くなりましたが、自分もようやく家庭を持つことができました。姉とは生き別れて二十年以上経ちましたが、あの時生き別れた姉のことが気にかかります。また姉と会いたい」。私が、「お姉さまがお寺に来られることがあれば、ご連絡が取れるのでしょうが……」と話しておりますと、母が一枚の新聞記事を持ってきてくれました。それはお寺の坐禅会が記事になった新聞の切り抜きでした。その記事には、その檀家さんがお母さまとお姉さまと一緒に坐禅をしているモノクロの写真がありました。三十年ほど前に家族一緒に坐禅会に来られていたのです。今は亡きお母さまと生き別れたお姉さまとの写真を見て檀家さんは大変懐かしんでおられました。「差し上げます」と言うと、大事に大事に持って帰られました。私は、いつかお姉さまと再会できますようにと念じながらお見送りいたしました。
スッタニパータというお経にこのような言葉があります。
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くにあるいは近くに住むものでもすでに生まれたものでも、
これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
(『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳・岩波文庫)
目に見えなくても幸せを祈ってくれている人がいます。遠くに住んでいても常に心配してくれている人がいます。今の私のこと、将来の私のことも気にかけてくれる人がいます。
私達には幸せを祈ってくれている人がきっといるはずです。皆様は人の幸せを祈っていますか。人の幸せを祈る心、私達も育ててまいりましょう。