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佛通・大通両禅師の御遺戒

(出典:書き下ろし)

rengo1304b.jpg 広島県三原市の山懐にある大本山佛通寺。その御開山、佛徳大通禅師(愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)禅師)は元の国で修行され、佛通禅師(即休契了(しっきゅうけいりょう)禅師)の法を嗣がれました。大通禅師は晩年、75歳の時、現在の地に寺を開き、寺名を「佛通寺」としたことで、佛通禅師のお名前も永く後世に残ることとなりました。そのため佛通寺では、4月に佛通禅師、9月に大通禅師の、年2回の開山忌を修しております。
 大通禅師は19歳で元へ渡り、金山寺の佛通禅師の下で修行されました。お二人の間には初対面の時から、昔からの師匠と弟子のような親密な空気が流れていたと言います。
 9年の歳月が流れ、佛通禅師はご自分の健康状態の悪化に気づかれると、大通禅師に帰国を急がされ、その時こう言われました。
「帰国しても、世に出て法を説くことなど考えずに、山に籠もって坐禅をし、ひたすら修行に励みなさい」。
 帰国した大通禅師はこの戒めを堅く守り、晩年、将軍足利義持に相見を求められた時も、誓いがあるからと、都の外で会われたほどの徹底ぶりでした。
 佛通禅師のお言葉「不要出世」「修行専一」を今流に噛み砕けば、人目につくこともなく、今現在の自分の立場、役割を一所懸命に勤め上げていく、ということでしょうか。
一方、大通禅師には風変わりな頂相が遺されています。曲?に坐り、右手を頭上にかざして、掌で剃った頭に触れておられます。
 この頂相には様々な解釈がありますが、その一つに「識羞(しきしゅう)(羞を識る)」があります。剃った頭に触れる度、あの日の自分の決意は、今も揺るがず心の中にあるか。本来の道を見失ってはいないか、と常に己に問いかける。
 しかし、ことさら気負うこともなく、当たり前のことを当たり前として勤めていく。飽くまで飄々としたお姿は、世人のつまらぬ憶測など一笑に付されるようです。
 大通禅師のこの一風変わった頂相と、佛通禅師の戒めの言葉とは、師弟相和した御遺戒とも言えます。この二つは見事な対を為し、後世の私たちが仏弟子と呼ばれるに足る行いをしているかどうか、今も静かに問いかけられておられます。

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