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仰げば尊し

(出典:書き下ろし)

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仰げば 尊し 我が師の恩
教の庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば

 「仰げば尊し」この季節、懐かしく思い返す人も多いのではないでしょうか。近年では様々な理由で卒業式に歌う学校が少なくなったと聞きますが、それは残念なことです。
 なぜならこの歌は、学校生活最後に贈られた宿題だと私は思うのです。私たちが「ありがとう」を贈るべき先生は、学校の中だけでなく毎日の暮らしの中に今もいます。その有り難さを「今、この時」こそ振り返れと促してくれるのです。
 ある一人のおばあさんがいました。出会った時は七十歳を超えた頃、早くにご主人を亡くされたこともあってか、お寺や仏さまにも真摯な人で、まめにお寺を訪ねてくれました。当時、修行道場から戻ってきたばかりの私にも常に深々と頭をさげられます。
 私はそれが嬉しくて色んなお話をしました。特に仏さまの話、禅の話はいつも静かにじっくりと聴いてくれて、最後には「おっさま、ありがとう」と喜んでくれる。だから私も一層調子に乗って、随分聴いてもらいました。
 そんなお付き合いを続けて数年、ある日突然この世を去ってしまわれました。二月の寒い日の朝のことでした。
 そして三月、テレビから聞こえる「仰げば尊し」を耳にしてふとおばあさんの姿が思い浮かびました。これまでの日々を思い返し、そして気が付いたんですね、おばあさんこそありがたい「我が師」だったのだと。
 よくよく考えれば、私よりもずっと長く仏さまと向き合って来られた方です。ほんの数年修行をした私の話など聴かずとも分かっておられたでしょう。それでも私を尊重して「ありがたい」と聞いて下さった。それが積み重なって自信に繋がり、おかげで今日の私があります。教えているつもりが逆に私が学ばせて頂いていたんですね。その有り難さに気づかぬままお別れしてしまったことを悔いるばかりです。
 法句経には「よき師に 終身学びて 学ばざるあり 匙の汁に浸りて 風味を知らざるに似たり」とあります。ついつい私たちは自分の事ばかり考えてしまい、周りにいる自分を支え導いてくれている人、その有り難さに気が付けません。そうならぬよう謙虚に「仰ぐ」、学ばせて頂いていると敬う心で見上げてみれば皆な有り難い師ばかりです。
 どうか皆さんもあらためて「仰げば尊し」と振り返り、周りの恩師を仰ぎ見て下さい。そして学ばせて頂ける喜びを噛みしめてくださればと願います。

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