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精進 -仏教における努力とは-

(出典:書き下ろし)

rengo1303.jpg がんばることは大切なことです。でも、がんばっても必ず結果が出るとは限りません。成績や結果ばかりにとらわれていては、大切なものを見落としてしまいます。昨今、学校の部活動やスポーツの世界における体罰が大きな社会問題となっています。これは現代社会における行き過ぎた「成果主義」が問題点としてあげられるのではないでしょうか。がんばること、努力することの意味を問い直してみましょう。
 みなさんは「ウサギとカメ」という昔話をご存知でしょうか。ウサギとカメが足の速さのことで言い争い、かけっこで競争するお話です。ウサギは生まれつき足が速いので、真剣に走らず、道からそれて居眠りをはじめてしまいます。カメは自分が遅いことを知っているので、休まず走り続け、ウサギが横になっているのを通り過ぎて勝利のゴールに到着しました。足の遅いカメでも努力を続けた結果、最後にはウサギに勝つことができた。才能よりも努力を続けることの大切さを説くお話でした。ところが成果主義の視点でいうと、「成果のない努力は価値のないもの」となってしまいかねません。
 なぜカメは勝てるはずのない勝負をウサギに挑んだのでしょうか。普通に競争したならば、カメがウサギに勝てる確率は万に一つもありません。ウサギが途中で居眠りすることも競争する前に予測はできません。もし仮に、私がカメの立場なら、自分の苦手なかけっこではなく、得意な泳ぎで勝負したことでしょう。それなら勝負に勝ってウサギを見返してやることは十分にできたはずです。しかし、カメは苦手なかけっこで勝負を挑んだのです。
 仏教に「精進(しょうじん)」という言葉があります。「仏道修行にはげむこと、一所懸命に努力すること」という意味です。他と比較して優劣をつけたり、勝ち負けに一喜一憂したりするのではなく、自分自身と向き合い、自分自身を見つめ、自分自身を高める努力を精進というのです。カメとウサギは同じ道を走ってはいましたが、他人との比較でしか自分自身を見つめられないウサギと、自分自身をまっすぐに見つめるカメの心の内には大きな隔たりがあったと思われます。
 お釈迦様の短い教えを集めた『法句経』の中に次のような一節があります。

  おのれをととのえ なすところ つねにつつしみあり
  かく おのれに克つは すべて他の人々に かてるにまさる
  (『法句経』104 友松円諦訳)

 カメが選んだのはウサギに「勝つ」のではなく、己に「克つ」ことなのかもしれません。自暴自棄になったり、逃げたりするのではなくただウサギと競争したい。そこには楽しささえ感じられるのではないでしょうか。仏教の「精進」を通じて「己に克つ」仏さまの心で歩んで参りましょう。

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