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火の用心

(出典:書き下ろし)

myoshin1302.jpg 2月15日はお釈迦様がお亡くなりになられた、涅槃に入られた日であります。涅槃とは「吹き消した状態」という意味があり煩悩の火を吹き消した状態という事で、寂滅や寂静とも訳されます。
 お釈迦様は、「煩悩に振り回されてはならない」と教えられました。煩悩を火に例えられたのは、どちらも使い方を誤ると制御不能になるためです。火は大変便利でありますが、ひとたび火事になると消すことは難しく多くのものを焼き尽くし、失ってしまいます。
 小僧の頃に、弟弟子と年末のお墓掃除を命ぜられました。お墓と道路の間に斜面があり、枯草が覆っておりましたので、抜くよりも火を着けた方が手間を掛けずに綺麗になると思い火を着けました。上手く野焼きが出来ておりましたが、風が強く吹いた一瞬の間に急に炎が燃え広がりました。運悪く斜面の真ん中にあった木にも引火し、これはまずいと二人で必死に消すことになりました。偶然通りかかった、お墓詣りの方にも手伝ってもらい、何とか消火でき、大事には至りませんでしたが、今思い出してもゾッとする出来事でありました。
 他の動物とは違い、人間は火を使う事で文明を発達させてまいりました。人間の生活で火を使わないで生活をする事は無理な事です。その必要不可欠な火も、使い方を誤ったり、必要以上に使用すると火事になり、自らを傷つけ多くのものを失ってしまいます。煩悩も時には目標に向かってのエネルギーになり、私達が生きていくにあたって必要なものですが、大きくなりすぎた煩悩は自分自身を見失わせ多くのものを失ってしまいます。
 少し目を離したすきに風に煽られたりなどの様々な要因で火はあっという間に大きな炎となり消火することに多くの労力が必要になります。同じ様に私達の煩悩も目を離すと大きな欲望となり、自分で抑える事が難しくなってしまいます。煩悩の火が大きな炎となる前に自分でコントロールしていかねばなりません。その為には常に自分を見つめる事が必要です。
 お釈迦様は別れに臨んで弟子達に「私が亡くなっても、自らを拠り所とし、法を拠り所として生きていきなさい」と自灯明法灯明という事を教えられました。拠り所となる自分とは煩悩に振り回される自分ではなく、よく調えられた自分であります。灯明の火が静かに粛々と燃えるように、私達も自分の煩悩を上手に使っていきたいものです。
 寒さ厳しいこの時期にお釈迦様の御遺徳を偲び、静かに坐って自分を見つめ、身を正し、言葉を正し、心を調えて日々を過ごしてまいりましょう。

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