新しい自分発見
(出典:書き下ろし)
早いもので師走を迎えました。今年も身勝手の極みとも言えるような事件、問題が相次ぎました。これは、決して他人事ではありません。平常心という教えがあるように、自然、あるがままの心を物差しにして自らを見つめ調える機会が少ないと、心身はバランスを欠いて平常では考え難い出来事に関わってしまうこともあるのです。
新年を迎えるにあたり、慌しい世間の物差しだでけでなく、自然の摂理に照らして自分のありようを見つめることも大切だと思います。
1年を振り返る時、約46億年の地球の歴史を1年に置き換えた例え話を思い出すことがあります。1月1日に地球が誕生したとするならば、現生人類のホモ・サピエンスの誕生は12月31日の23時37分頃の出来事。さらに人類の文明的な時代が始まるのは年越し目前の23時59分頃になります。人間の一生はまさに一瞬で、記録上で最も長寿だった122歳の人で0.8秒の人生にすぎません。こう考えると文明を謳歌して地球の主を気取る人類といえど宇宙や地球の歴史の中では一瞬の儚い存在でしかないと言えます。しかし、逆に宇宙の中で、地球が生まれ、途方も無い年月をかけて生命が誕生し、縁あって命を授かることは極めて奇跡的で尊いことにもなるのです。
『雑阿含経』に「盲亀浮木
」の教えがあります。大海の底に住んでいる目の不自由な亀が、百年ぶりに海面に顔を出そうとしました。すると、漂っていた浮木が流れてきて、偶然に浮木に空いていた小さな穴に顔が入ってしまったそうです。お釈迦様は、このような奇跡よりも尊いのが、人間として命を授かることだと説かれています。
私は、近くの研修施設からの依頼で子ども達に星空の楽しみを教えるボランティアをしたり、自坊で坐禅会と合わせて星空観察の会を開くことがあります。ある晩、数組の親子連れと満天の星空を眺めたことがあります。普段、じっくり星を見る機会は少ないようで、子ども以上に親御さん達が「綺麗!」「本物の天の川だよ!」などと夢中で感動しておられました。そこで、「美しく輝いている星も永遠ではなく、やがて散って、またそこから新しい星も誕生しているんですよ」と説明しながら、盲亀浮木の例え話も交えて話しました。後日、一人のお母さんから「宇宙や星も人間と同じなんですね。その数ある星の中で地球に人間として誕生できることは確かにすごいですね。星空を眺めていると新しい自分を探している気がしました」と感想を頂きました。
大晦日や正月も自然や尊い命に生かされていることに感謝して新たな抱負を抱く節目です。華やかさや賑わいだけを求めるのではなく、少しの時間でも静かに心身を落ち着かせて普段は気付かず見過ごしている身近な自然や環境とも向き合ってみませんか。新たな不思議で尊い自分が発見できるかもしれません。
きのう知らなかったことを
きょう知る喜び
きのうは気づかなかったけど
きょう見えてくるものがある
日々新しくなる世界
古代史の一部がまた塗り替えられる
過去でさえ新しくなる
「いま始まる新しいいま」(川崎洋・作)より抜粋