知足
(出典:書き下ろし)
「知足の人は地上に臥(ふ)すと雖(いえど)も、なお安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処(しょ)すと雖も亦意(またこころ)に称(かな)わず。不知足の者は、富めりと雖も而も貧し。」『仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)』
足るを知る者は地べたに寝るような生活であっても幸せを実感できるが、
足るを知らない者は、天にある宮殿のような所に住んでいても満足できない。
足ることを知らない者はいくら裕福であっても心は貧しい。
お彼岸をすぎると今までの暑さが嘘だったように爽やかな晴天が続きます。今年の夏は例年にない猛暑が続き、「節電」の掛け声もかしましく、一層暑苦しさを感じる夏でした。そんななか、私たちはあらためて「知足」という言葉の意味を考えさせられました。各家庭にクーラーが普及し始めたのはそれほど昔のことではありません。しかし今ではクーラーのない生活は考えられないほどに普及しています。そしてその設定温度に気をもむようになりました。より涼しくとの欲望が知らぬまに私たちを支配してしまっています。この世で、私たちは『もっと、もっと』と物理的・現世的な功利を求めて奔走するようになってしまってはいないでしょうか。
江戸時代末期の歌人に橘曙覧(たちばな・あけみ 1812~1868)という人がいます。彼は貧乏な暮らしの中で何一つ不平を言わずに家族愛に満ちた人生を実践した人です。その『独楽吟』52首のなかに、
たのしみは草のいほりの筵(むしろ)敷(しき)ひとりこゝろを静めをるとき
という歌があります。これこそ先にあげた『遺教経』の精神を体現した生き方でしょう
知足とは「あるものでがまんする」という意味ではなく「そこにある物の中に積極的に喜びを見いだす」という生き方でしょう。言ってみれば「知楽」楽しみを知る生活こそが「足るを知る者は富む」との本意でしょう。
『独楽吟』には他に
たのしみは客人(まらうど)えたる折しもあれ瓢(ひさご)に酒のありあへる時
という歌もあります。秋の夜長、客人と清談するのも楽しみを見つけるよい方法のようです。