心の柱
(出典:書き下ろし)
今年の五月、東京スカイツリーが営業を開始しました。このスカイツリーは634メートルもの高さがあるわけですが、その耐震構造には日本古来から伝わる五重塔の技術が用いられているそうです。これまでに日本の五重塔は、地震による倒壊例がなく、その秘密は「心柱」と呼ばれる建物の中央の柱にあると推察されています。現代の最新技術と伝統的構法が出会い、心柱と外周部の塔体とを構造的に分離することによって免震するという新しい制震システムが用いられて、634メートルという超高層タワーが建築されたのです。この話を知った時に私は一つの禅語が頭に浮かびました。それは「応無所住而生其心」です。
この句は『金剛経』というお経の眼目、つまりは一番大事なところで、お釈迦様が十大弟子の一人である須菩提に人生を軽快に生きるためのコツを説かれた句であり、また中国の名僧である六祖慧能禅師の禅門に入るきっかけとなった句でもあります。
「応に住する所無くして、その心を生ずべし」と読むことができ、「住する」とは心がとらわれること、執着することをいいます。つまり「住するところが無い」とは「心は自由自在に働きながら、それでいて停滞する所が無い」ということです。
人間は生きている以上、目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻で嗅いだもの、舌で味わうもの、身体で感じるもの、心に思うもの、それらに惑わされてしまうことは仕方の無いことです。かといって何も見ない、何も聞かない、何も思わないでは人生面白くありません。つまり、入ってきた情報を拒絶するのではなく、しっかりと受け止めた上で執着して停滞することの無い様にしなければならないのです。
私達の生活に置き換えれば、ご飯を食べる時は一所懸命ご飯を頂き、お茶を飲む時は一所懸命お茶を飲む。働く時は一所懸命働き、休む時は一所懸命休む。笑う時は一所懸命笑い、悲しむ時は一所懸命悲しむ。それでいて執着して次に引きずることの無いよう、前後を截断しなければなりません。
東京スカイツリーや五重塔は、地震で揺れても、塔が揺れに任せてうまくきしみ、元に戻り何の跡形も残しません。もし揺れに対して頑なに動かなければ、どこかに無理がきてしまいます。私達も「心の柱」をしっかり持てば、全てのことに柔軟に対応できるはずです。日に新たに、日々に新たに、鶯の初音のように、ありとあらゆるものに感動して、そして何の跡形も残さない。それでこそ自由自在、臨機応変の働きができるのではないでしょうか。
そしてこれこそお釈迦様がお示しになられた「応無所住而生其心」の心、人生を軽快に生きるコツではないでしょうか。