困った時は稾をも掴むか
(出典:書き下ろし)
先日、鎌倉から横浜に向かう途中車のタイヤがパンクした。普段からタイヤに気をかけていなかった事の報いかと、天を仰ぐ気持ちであった。
なんとかガソリンスタンドまで辿り着いたものの、タイヤが届くまで1時間以上かかると言われた。遠方の檀家さんとの約束があり、1時間後には空港に着かなければならない時間になっていた。時は刻々と過ぎていき、フライトの時間までとうとう30分を切ってしまった。もう、予定を変更せざるを得ない。檀家さんにお詫びの電話をすることにした。針のむしろに座っている様な気持ちになり、申し訳なさで頭が痛くなりそうだった。
皆さんもこのような経験があると思う。人間誰でも予定通りとは行かないものだ。
今から830年程前に頼朝は伊豆から挙兵して鎌倉を目指すが、途中石橋山を拠点にしようとして合戦を繰り返した。しかしながら戦えども負け続け、何度も命からがら逃げる様な有様だった。背後の追っ手を振り切り、道案内の土肥実平が箱根の山を抜けて海にたどり着いた時、皆の前で再起を祈って舞い謡った。それを見た頼朝はふさぎ込んでいた心を切り替えて、石橋山を諦めて千葉へ船で逃げ、千葉の介常胤の力を得て再起をはたしたのだった。
禅の世界ではよく「窮即変、変即通(窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず)」(『易経』)と言われる。絶体絶命の時にこそ心や価値観、行動に変化が出てその場を無事通過することができるということである。
私は約束を守らないのが嫌な人間なので、多少の無理はいつもの事なのだが、あの日は限界を超えていた。次の飛行機は2時間後で、それでは遅すぎると判断して行くのを諦めた。当然迷惑をかけた事は謝らねばならないが、タイヤの到着を待って無事帰ることができた。無理をしてスペアタイヤで高速道路を飛ばしていたら、もしかしたらもっと大きな後悔をしたかもしれない。
掴んだ藁は、針のむしろの藁だったのかもしれない……と思う出来事だった。
あわせて、日頃の人間関係が良好であるからこそ、済われる事が多い事と知った一日でもあった。