知足の生活は、不便さを感じること
(出典:書き下ろし)
毎年毎年、殺人的といってよい夏がやってくる。地球温暖化が言われるようになってから、余計に暑くなったようだ。
私の小学生のころ(約50年前)は、「今日は暑いな!30度を超えているんじゃなかろうか」という会話が交わされていた。夜も蚊帳だけで戸締りもせず開けっ放しで寝ていたものである。涼を求めるのに扇風機があれば御の字であり、もっぱらうちわが主流であった。 井戸水で冷やしたスイカやまくわうり等が夏の食べ物であった。
近年、集中豪雨による被害が多発しその規模も広範囲となった。異常気象といわれるが、竜巻による被害など外国での出来事とばかり思っていた。
確かに今の気象は、大きく変化したと感じる。夏の最高気温39度などもはや殺人的暑さである。原因として、化石燃料の使用や熱帯雨林の広範囲の伐採、都市のコンクリートによる砂漠化等々いわれる。
それは、どれも人間がより豊かで便利で快適な生活を目指したことが原因だと思う。飛行機や車は、移動時間を短縮し、余った時間を他に振り向けたり又他の仕事を同時可能にした。食生活にしても、外国の熱帯雨林を切らせて養殖したものを食べている。エアコンは、暑い寒いを感じることなく快適な暮らしをすることができる。
そういうことに反比例するかのように、地球は汚れ傷ついている。まだ50年くらい前は氷河の後退も温暖化ということばさえなかった。経済の発展とともに、それは後戻りを出来ぬようになっている。営利企業は大量生産大量消費をうたい、儲かればいいと思っている。
私たちは、もう気付かなければならない。原子力発電の便利な電気は、制御できぬ大きな過ちを犯し郷里に住むことさえ不可能にした。
お釈迦さまの教えに「知足」(足ることを知る)というのがある。もっともっとお金が欲しい、もっと美味しいものを、もっと快適に、そういう欲望が次第に瀕死の地球へと向かわせているのである。自分の時代に、資源を使いきってしまうのではなく、今からでも地球の汚れたところをきれいにして次の世代へ譲っていかねばならないと思う。
ある程度の不便さを受け入れ、ぜいたくやものの豊かさばかりを求めず、地球や人への思いやりを持つことが「足ることを知る」生活である。