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震災避難所として

(出典:書き下ろし)

myoshin1207a.jpg 昨年の7月4日、東日本大震災で寺に避難していた人たちが仮設住宅へ引っ越していきました。
 あの日、大津波警報と共に着の身着のままで市の指定避難所である寺に避難してきて、その後大津波で、すべてを流されてしまい、帰りたくても帰るところのない人たちです。
 その人たちと4カ月間、寝食を共にしているうちに「家族」になっていて、出て行かれた時の淋しかったことを今でも忘れることができません。その淋しい思いから、皆さんはお世話になりましたと出て行かれたけれど、お世話になっていたのは、こちらだったということが判ったのです。
 元気いっぱいの子どもたち、いざという時に頼りになった男性たち、賄い一切を切り盛りしてくれた女性たち。自然に各々が役割分担して、兎も角この難局を乗り越えようと必死でした。
 おかげさまで沢山の支援を頂き、全員が救急車を呼ぶこともなく無事に仮設住宅へ引っ越してくれたことに安堵しました。
 仮設住宅へ移ってからも、数人の男性たちが、現在も欠かすことなく、震災後に建てた「やすらぎの家」という建物に集まり自分たちでお湯を沸かし、コーヒーを飲み、後に境内の掃き掃除をしてくれ仮設住宅へ帰っていきます。
 あまり無理しなくてもいいからと言うと「朝、海を見ないと落ち着かないから」、「ここに来ないと一日が始まらない」の言葉に有難さでいっぱいになるのです。
 この仮設住宅に住む人たちが安住の地に住めるまでは、まだ時間がかかると思いますが、こうやって寺がやすらぎの場になっていることが有難く、寺に避難していた人たちは「お寺は私たちの実家」と言ってくれ、玄関で「ただいまぁ」と訪れ「お帰り」と迎えます。
 遊ぶ場所もない子どもたち。境内で思いきり遊び、また仮設住宅へ帰っていきました。

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