心ゆるやかに
(出典:書き下ろし)
昨年3月11日に発生しました“東日本大震災”。それを受けまして、岡山県内の臨済宗妙心寺派の僧侶も「何かひとつでもできることはないか」と思案致しましたところ、「義援托鉢を岡山県内で行ないたい」との提案がなされました。
そこで、岡山県内臨済宗妙心寺派の有志和尚様方を募って、これまで月一回「東日本大震災義援托鉢」と称して岡山県内各地を托鉢させていただきました。
おかげをもちまして、これまで多くの浄財を頂戴し、岡山県内の各市庁舎・新聞社や妙心寺に設置された義援金受付を通じて被災地へお届けさせていただくことができました。
こうして托鉢させていただきますと、数々の出会いがありました。途中の休憩場所で色々な心細やかなお接待をしてくださった方、もったいなくもこちらに手を合わせて拝んでくださった方、元気のいい挨拶をしてくださる学生さん方。また、普段見慣れていると思っていた岡山県内の風景も、歩いて見ると「こんなところにお地蔵さんがある」、「この丘から見る風景は見晴らしがよくて気持ちいい」、「川のせせらぎの音や通り抜ける風が心地いい」といった出会いもありました。托鉢は、もちろん被災地に義援金を送らせていただくためにしていることですが、それと同時に私自身もこの貴重な出会いという“宝物”を沢山いただけたように思います。
最近はすべての物事において「速い」、「効率のよい」ものが最優先され優遇される時代です。様々な情報の伝達速度・パソコンやスマートフォンの起動速度・バスや電車の移動時間・外食時の料理の待ち時間等々、周囲を見渡せば数限りなくあります。そういう中で生活している私達は逆に心休めることが難しくなってきているようにも感じます。パソコンやスマートフォンの不具合でイライラ、赤信号や予定到着時刻の遅れでイライラ、注文した料理が出てこなくてイライラ……、なかなか心休まるときがありません。
私達人間一人一人に与えられた時間は、どれだけ急いでも効率をよくしてみても「一日24時間」、「一年365日」です。しかしいつの間にか「一日を少しでも多く自分のためだけに使いたい」、「一年を400日に感じられるように人生を充実させたい」といった思考回路に自分では気づかないうちに陥っているのではないでしょうか。
托鉢は徒歩でゆっくりと時間をかけて一軒一軒まわっていきます。そうしますと、先程ご紹介したような素晴らしい出会いが沢山ありました。この急ぎ過ぎる現代社会だからこそ、ゆっくりと時間をかけること、焦らずに立ち止まってみることで見えてくるもの、感じられるものを忘れずに大切にしたいと、この托鉢を通じて私自身あらためて教えられました。