鯉のぼりに思う
(出典:書き下ろし)
風薫る若葉の季節。この時期になると、鯉のぼりが風をいっぱいはらんで、空高く金鱗溌剌として泳いでいるのを目にします。この鯉のぼりには、鯉が龍になる伝説があるのをご存じでしょうか。
中国は太古の昔、黄河の氾濫をしずめるために建設された、龍門山三段の滝には、毎年春になると、魚たちが黄河をさかのぼり群集し、競って瀑布を登ろうとしました。そのなかで登り切ることの出来た鯉が、龍になり天に昇っていきました。日本では、いつのころからか端午の節句に、神獣と称される龍のように強く育って欲しいという願いから、鯉のぼりがたてられるようになったそうです。
龍といえば、昨年、ブータン国王夫婦が福島県相馬市の桜丘小学校を訪問し、生徒たちに龍の話をされました。
「私たちひとり一人には、龍がすんでいて、その龍は自分の経験によって大きく強くなります。自分の龍を鍛錬し、感情をコントロールすることが大切です。人はどんな経験も糧にして強くなることができます」。 自分の中の龍とは、もう一人の自己のことで、心静かに自分と向き合うとき、この自己が見えてます。
鈴木大拙博士の『禅と精神分析』という著書のに、次のような言葉があります。「ひとり静かに坐って自己の存在の深淵に沈潜するような時、……そこに何物か動くものがある。それが静かに低く低く語りかけてくる。お前のこうして生きているのは決して無駄ではないのだよ、と。……一度じっくりと真剣に自己の内面に向ってかえりみるがよい。すると自分はひとりぼっちでも、棄てられた者でも、天涯孤独でもない。かえって内面の領域には威風堂々たるただ一人の風光が厳然と存在し……」。
病気や事故など予期せぬことに遭遇したとき、私たちは、心が乱れ、他に拠り所を求めてしまいがちですが、助言を得ることはできても解決の道にはいたらないのではないでしょうか。この威風堂々たる自己こそが拠り所であり、このものをおいて他に拠り所を求めるべきではありません。
この世には四種類の人々がある、という釈尊のお言葉が「雑阿含経」にあります。
一つには、闇から闇にさ迷う人である。
二つには、闇より光におもむく人である。
三つには、光より闇にむかう人である。
四つには、光より光に進む人である。
闇も光も、実は自分の心であります。損得に迷い、思いが定まらない闇の自己。道理をわきまえ、迷いが吹っ切れた光の自己。どのように生きていくかは、私たちひとり一人が決めていくことです。自分の中にすんでいる龍を大きく強くして、思わぬ出来事に遭遇しても、苦難を乗り越えることのできる自分になりたいものです。