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見えない楔(くさび)

(出典:書き下ろし)

myoshin1204b.jpg  大学の秋入学が脚光を浴びていますが、依然として多くの人が新生活を始める4月。昨年春の出来事を思うと、何ものにも代え難い、決意と感謝の新年度を迎えた方も多いと存じます。
 先月、岐阜東教区へ巡教に伺った際、太多線の車窓から見える街並に「ここを托鉢で歩いたなあ」と、道場で修行していた頃を思い出していました。私を励まそうと、ある先輩雲水がしてくれた話と一緒に……。

 托鉢の日、一人の雲水が「ホォーッ」と声を出しながらある呉服屋の前に立った。なかなか出て来ない。立ち去りかけたら、玄関が開いた。「バサーッ」出てきたのは桶の水であった。濡れたままその雲水は深々と合掌礼拝して去った。また別の日、同じ雲水が呉服屋へ来た。今度は塩を投げられる。そんな調子で無視や罵倒など、拒絶の連続であったが、雲水は呉服屋へ足を運ぶのを止めなかった。
 双方の根比べがしばらく続いた。そして、ついに呉服屋の主人が雲水に問う。「わからんのか。うちにはもう来なくていい。そうまでして来るのはいったい、どういうことだ」と。何をされても唯黙って合掌礼拝して去っていた雲水が一言こういった。
 「逆縁(※1)もまた、縁ですから」
この言葉に主人は一変した。この雲水の着物や足袋等、すべてお世話した。同じ道場の他の雲水にも同様に。そしてこの雲水が修行を仕上げ、老師様として然るお寺へ入られても、和装の設えや繕いなど自身が仕事を辞めるまでそれを続けたそうである。

 皆さん、楔(くさび)をご存じですね。Ⅴ字形、または三角形の木片(金属片)で、相反する用途、目的をもっています。一つ隙間に打ち込み「物を割る」用途。もう一つは、物同士が離れぬよう圧迫し「接合部を強固にする」目的で使われます。分割と接合。一見正反対ですが、物を割るほど強く食い込む力があるからくっつき、離れぬほど密着するから、物を押し広げて割ることができます。別々に思われた用途は実はもう一方の性質で支えられ、繋がっていることに気づきます。「縁」もこの楔と似ていると思うのです。
 我々は悲しく辛い縁は拒み、善縁はないかいつも遠くを探しがちです。しかし、自らが心を二分するような別離の痛みに接して、はじめて他人様に寄り添って生活でき、自らも他を支え敬う謙虚さをもって、反対に支えられる有り難さを実感できます。苦楽は別々でなく表裏一体です。
 楔が接する箇所がないと利かぬように、人は理想の実現にやはり手掛りが要ります。その手掛りが私達の足元、その「今自らが接するご縁」なのではないでしょうか。
 禅宗の初祖達磨大師は「縁に随って行ずる(※2)」という実践行を示されました。喜悲に動ぜず、一度いまの環境や人間関係のご縁とぴったり一つになって行動してみるのもいかがでしょうか。
 あなたにとって苦手な人や境遇の中にも、道を切り開き、信頼をつなぐ「見えない楔」が潜んでいるかもしれません。

※1逆縁・・・仏法を素直に信じない(縁に背く)こと。修行を妨げる因縁。仏を誹謗することがかえって菩薩の化益を蒙り、仏道に入る因縁となること。
※2 随縁行:生活の中での四つの実践法の第二。達磨の事績言行をまとめた『二入四行論』にある。

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