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一期一会

(出典:書き下ろし)

myoshin1203a.jpg 三月は学校ならば卒業式、会社ならば人事異動や退職など、別れが多い時期です。別れと出会いを繰り返す私たちにとって、その意味にうなずけるもっともよく知られている禅語の一つに「一期一会」があります。この言葉は茶聖千利休の弟子、山上宗二の「一期に一度の会」が由来になっています。茶の湯における茶会は、庭や茶室、床の間の掛軸、活ける花、香や茶道具、亭主、客人のすべてが全く同じでもそれぞれが一回それきりと考えます。そのひと時、その場を同じくする茶会は二度とないため、すべてにおいて丹精を尽くします。禅においても一番のよりどころ確かなものは、過去という“かつて”でもなく、未来という“これから”でもない「即今(いま)此処(ここ)自己(じぶん)」であるといいます。二度と戻ってこないこの時間を一瞬一刹那として大事にして、その空間の感覚を研ぎ澄まして切に生きるということを心がけたいものです。
 さらに、「一期一会」にはもっと深い意味があるそうです。大大大先輩であり、百一才で遷化(せんげ)(高僧の死去)された松原泰道師(元龍源寺住職)のお言葉に出会いました(言葉に出会うのも一期一会です)。

絶体絶命に追い詰められた時、自分を救うのは、もう一人の自分

 
 自分の心の中に潜んでいるもう一人の自分に出会うことが、一期一会の深い味わい方であるそうです。昨今、先行き不透明で何かと信じられない、時として心が折れそうになり窮してしまうことが多い時代です。そういう状況の中で、自ら命を断つ方が日本国内で十四年連続年間三万人を超えているという統計がでています。大変深刻な現代における問題です。ウーッとなった時、どうしようもなく苦しくて思いつめて行き詰まった時などに、もう一人の調えられた自分に出会うことが肝要です。調えられた自分に出会うためには、身体と呼吸と心が乱れていては遭遇できません。急がず、立ち止まり、一呼吸して、「ちょっとまてよ」という落ち着いた冷静な自分が正しい判断をしてくれます。「一期一会」の縁を大切にすることと併せて、静かに坐り、もう一人の本当の自分に出会ってみませんか。

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