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百花春至って誰が為にか開く

(出典:書き下ろし)

myoshin1202a.jpg   立春の前日にあたる春の節分には、邪気を払う追儺(ついな)の行事として、各地の神社仏閣で豆まきが行なわれます。そもそも「儺(な)」とは、中国の除災によって招福を願う習俗で、我が国にも深く浸透しました。
 豆まきは、豆を「魔目」と書き、鬼の目を煎ることでその出没を拒んだことが始まりとされます。また、味噌、醤油の原料として日本人の生活に欠かせなかった大豆に霊力を与えて「魔滅」という字をあて、鬼を退治しようとしたとも伝えられています。
 禅語録の『碧巌録(へきがんろく)』第五則「雪峰盡大地」の頌に、「牛頭(ごず)没し、馬頭(めず)回(かえ)る。曹渓(そうけい)鏡裏(きょうり)、塵埃(じんない)を絶す。鼓を打って看せしめ来たれども君見ず。百花春至って、誰が為にか開く」とあります。牛頭は没し、馬頭は立ち去った。曹渓の心には一点の曇りもない。鼓を打って人を集め開眼させようとするが誰も悟ろうとしない。百花が春を迎えて開花するのは誰のためであろうか。
 牛頭と馬頭は亡者たちを責めたてる地獄の鬼たちです。曹渓こと禅宗六祖慧能(えのう)大鑑(だいかん)禅師のもとから鬼たちは立ち去りました。それは慧能禅師の無一物(むいちもつ)の心境によるものです。皆さんのためにこの大安心(たいあんじん)をお裾分けしようとするものの誰も関心を示しません。いろいろな花々は、春を迎えたままに輝き開き、誰のためでもなくただ咲いています。
 どこの家でも障子戸の生活をしていた頃、陽暮れが来れば雨戸を閉めなければなりません。建て付けが悪く、子供の背丈を越える雨戸は容易には動いてくれず、子供心にも難儀で面倒くさい陽暮れ時の私の日課でした。
 節分の晩に戸袋の一番近い雨戸を一枚だけ開けて「鬼は外」と暗闇に向けて豆を撒きました。鬼が反撃してくる前に雨戸を閉めなければなりません。早くしないと鬼が迫ってきそうな緊迫と焦りの中で、益々思うように動かない雨戸は、夜の静けさにガタビシと騒ぐだけでした。今にも闇から鬼がヌーッと顔を出しそうな恐ろしさの中で、思わず親の背中に逃れ隠れたことをなつかしく思い出します。そこには開け放たれた雨戸から吹き込む外気の冷たさをも厭わない家庭の団らんがあったように思います。
 私たちは何を以てしあわせとせねばならないのかと振り返ったとき、思い通りにならない煩わしさを避けるだけでは心は潤わないことを、無邪気な頃の日暮らしの一幕に知らされます。
 「牛頭は外、馬頭も外」と災難から逃れて得るしあわせはありません。牛頭も馬頭も認許して、それにもこだわらない「あって善し、なくて善し」という分別と我執に左右されることのなかった慧能禅師の安心(あんじん)は、春を迎えておのずと花を咲かす百花の姿に通じます。
 その花あかりが、鼓の音に無頓着な私をもあたたかく包んでいてくれことに気づけたとき、私の心も無一物です。昨日と同じ景色をそのままに見事に開花したときです。

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