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-お正月- 永遠なる仏さまの願い

(出典:書き下ろし)

myoshin1201a.jpg 晦日のざわめきが静けさに変わり、年は改まりました。

  なんとなく、今年は良い事あるごとし。元旦の日晴れて風無し  石川啄木

啄木ならずとも元旦の朝というのは、誰もがこう言いたくなります。
 風もなく空は晴れわたり、聞こえてくるのは静寂さだけ。家の中では、オトソを酌み交わしながら昨年の労を感謝しつつ、「おめでとう」と言葉を交わします。外に出れば皆なおめかしをしていました。華やかな朝を満喫しながら、年始の挨拶が始まりました。
 昨夜までの静寂さは、ざわめきに変わってゆくのに、晦日の慌ただしさはありません。とてもゆっくりとした穏やかな時が流れているのがわかります。       
 そもそも一年の歪みを「修正」する「月」という意味合いで正月と呼びました。機械や道具が、長い月日のうちに自然と誤差が生じてくるように、人間も同じこと。ものの考え方など知らぬ間に、少しずつ正しい方向から、はずれがちになります。それを修正するのがお正月と言うのです。
 去年、私のお寺で本尊様の仏像調査がありました。普段、水引戸帳に隠された優しい尊顔に、スポットが初めて当てられたのです。専門家によると、音楽やファッションなどに流行があるように仏像のスタイルも、少しずつ違いがあるらしくその結果、この本尊様は900年前、平安末期に遡るというのです。歴史の深さに驚きながらも、時代を超えて露わになった姿に永遠なる命を感じてなりません。
 この現前に広がる一切のものは、一つとして同じ状態、姿をとどめません。どれも変化しています。どこを探しても永遠たるものは見当たらないのが現実です。それは仏教を開いたお釈迦さまも認めていました。
 けれど、この900年もの間、当地を優しく見守り続けた本尊さまに、そしてその本尊さまをしっかり守ってきた先人たちの願いにロマンを感じたのです。
 新年を迎え、私達は何を「修正」したら良いのでしょう。凝り固まった心を修正することは難しいかもしれません。それでも、しんとした元旦の気分は特別です。周りの雰囲気だけを見ても、心を一新させ修正させてくれる気がします。
 皆様もまた菩提寺にお参りし、御本尊さまに手を合わせる機会はあるでしょう。いつもなら自らの願う場としてあるのでしょうが、今回は御本尊さまに労いの言葉をかけてみてはどうでしょう。

「長い間、何を見てきたの?」
「じっとして退屈じゃないですか?」
「これからもこのお寺、この地区をずっと永遠にお守り下さい。」と。

そんな気持ちになれた時、古から不変に続く仏さまの心が私たちに具わって頂けるのではないでしょうか。そこに「修正」された私があるのです。

  なんとなく 今年は良い事 あるごとし

皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

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