いのちのかたち
(出典:書き下ろし)
「いのち」は生まれる前からあって、死のあとも無くなっていかないと考えています。たとえば、ボートで海にこぎ出し、船べりからコップ1杯の海水をくみ取ります。そのコップの海水が一人一人の「いのち」と考えます。コップに入った「いのち」は目で確認できます。コップの海水は何十年かしたらまた海に返します。コップに海水を汲んだときが命の誕生、海に戻した時が、死と考えます。
誕生も死も“いのち”の節目であって、開始と終了ではありません。始まって終わるのは「形ある命」なのです。生まれる前の「いのち」は確認できませんが、死の後の「いのち」はたびたび確認できます。生まれる前からあった「いのち」が死んだあとも無くなっていかないので、生きていらっしゃる方と亡くなられた方を区別いたしません。
今年(2011年)9月、あるランドセルメーカーが、2年半前の小学校入学時にランドセルを購入されたお客様に手紙を届けました。ランドセル購入時に、3年生になったお子様に向けて、お母さんに手紙を書いておいてもらい、それを2年半後の子供たちに届けるというものです。
東日本大震災の津波でお母さんを亡くした小学3年生の女の子にも手紙が届きました。女の子は3人兄弟の末っ子です。お母さんは3人の子供たちそれぞれに手紙を書いていました。もちろん3人は大喜びです。
その日の夜、小学3年生のお嬢さんは津波で亡くなったお母さんに手紙を書きました。その書き出しが、「お母さんお元気ですか?」で始まっているのです。
誰が教えたわけでもないのに、このお嬢さんは“生まれる前からあったいのちが死んだ後も無くなっていかない”ことを直感で分かっていらっしゃるのですね。
家族や親友、大切な人を失った悲しみは、これから生きてゆく気力を奪い去るように思えることがあります。しかし、故人と共に生きる智慧は、残されたわたくしたちを勇気づけてくださるように思えます。わたくしたちが故人の幸せ、「冥福」を祈る一方、故人も残された方々の幸せを願っていてくださるでしょう。逝った方も残されたわたくしたちもつながって生きているのです。