一歩を進む
(出典:書下ろし)
今年もいよいよ残り僅かとなりましたが、一年を振り返ってみますと、本当に国内外を問わず大きな自然災害に見舞われた年でした。更に世界の人口は70億人を突破して、将来の食糧や資源の枯渇が危惧されていますし、欧州発端の経済危機で各企業も青息吐息です。
本当に「一寸先は闇」という諺が、多くの方々にとって実感される、そんな一年だったと思うのですが、そんな時代を私達はどう生きていけば良いのでしょうか?
元弘二年(1332)の冬至の夜、大燈国師に一人の僧が「昔、ある僧が百丈禅師に『如何なるか是れ奇特の事(この世で最も有難いものは何ですか)』と尋ねた所、百丈禅師は『独坐大雄峰(今ここで坐って居ることじゃ)』と答えられましたが、この答えは本当に正しいのですか」と尋ねました。
この百丈禅師と僧のやりとりは『碧巌録』という書物に出てくる有名な問答です。ところが一人の僧が「この世で一番尊いことは、今自分が生命を頂いて生きていることだと百丈禅師は仰いましたが、本当にそうですか」と大燈国師に質問したのです。
仏教詩人、坂村真民さんの詩にも「死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなることがある」という一節がありますが、確かに人は夢も希望も失った時、「もう生きていても仕方ない」と絶望する時があります。或いは、自分の生命を賭しても守りたい、そんな生命よりも大切な家族や仕事を失った人々の悲しみは、他人の窺い知るところではありません。今風に言えば「生命が一番大切だといいますが、本当にそうですか」という問いは、この僧ならずとも思うことかも知れません。
それに対し大燈国師は「要津を把定し、凡聖を通ぜず」とお答えになっています。直訳すれば「誰であろうと簡単には理解出来ないぞ」ということでしょうか。古人も「百尺竿頭に一歩を進めた者でないと、この境地は判らぬぞ」と言っています。
高い竿を登ってやっとのことで頂上まで来ました。しかし更にそこから一歩進んだらどうなりますか。真っ逆さまに落ちてしまうかも知れません。しかし勇気を振り絞ってそこから一歩を踏みだした者でないと、「独坐大雄峰」という清々しい境地は味わい得ぬということです。
確かに「一寸先は闇」であり、私達の人生には多くの苦難が待ち受けています。しかし、だからと言って歩みを止めてしまうのではなく、歩みは遅くとも勇気を振り絞って一歩を踏み出すことこそが大切ではないでしょうか。
自分のベストを尽くすこと。それが生きている者に与えられた使命であり、先に亡くなられた方に対するご恩返しでもあると思います。共に新しい年に向かって一歩を進めて参りましょう。