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笑顔の施し

(出典:書き下ろし)

rengo1111.jpg 寺の近所のお店には幼稚園に通っている子がいます。お絵描きが好きで、店の中にクレヨンで描いた道路標識が貼ってあり、小麦粉を買おうとしたら進入禁止になっていて驚くこともあります。時々、その子が長靴を履いて出てきてニコニコしながら「いらっしゃいませ」と言ってくれるのですが、清浄無垢な大変良い笑顔なのです。レジで見ているお母さんも、お店にいる近所の方も、私も、皆な笑わずにはいられない微笑ましい光景です。
 笑顔で人に接することは、仏教では他人に対する大事な施しです。和顔施と言い、たとえお金や物が無くても、誰でもすることができる立派な布施行(無財の七施)の一つなのです。言い換えれば、仏の清浄なる心の施しと言えるかもしれません。
 ところが、最近はパソコンや携帯電話が普及して、笑顔どころかお互いの顔も見ずに会話をすることが当たり前の様になりつつあります。以前よく流れていたファーストフードのCMに、こういうものがありました。客が店員に「スマイル下さい」といって、最後に「スマイル¥0」というキャッチコピーが出るのです。笑顔までも商品の一つになってしまった様な、笑顔が当たり前ではなくなっている現今の世相は、それだけ殺伐としているということでしょうか。
 この様な御時世だからこそ、私たちは清浄な、心からの笑顔にどれだけ心救われることでしょうか。

幼子の次第次第に知恵付きて 仏に遠くなるぞかなしき(詠み人知らず)

という句があります。私たちは成長するに従って、良い悪い、好き嫌い、欲しい欲しくない、色々な考えが生じ、本来持っている清浄心を見失いがちです。しかし、心からの笑顔に接した時、お互いが見失いかけた仏の心に気付くことができるのではないでしょうか。
 以前祖母が入院している時に、「椿の花が見たい」と言われました。私は翌日、庭にあった藪椿を一輪携えて病院へ行きました。ところが、丁度その日に人工呼吸器がつけられ、言葉を交わすことができなかったのです。しかし、持ってきた一輪の椿を差し出すと、苦しそうだった祖母がニコッと静かに微笑んだのです。私は、一輪の花に微笑んだ祖母を見た時、自分自身も救われる思いが致しました。
 どうか、皆様も多くの人に慈しみを持った、仏様の笑顔を施してあげて下さい。

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