私たちはどこから来たのか
(出典:書き下ろし)
「風はどこから吹いてくるの?」とはラジオの電話相談室に寄せられた子供の質問です。日本は季節感が豊かで、風向きによっても四季を感じることができます。今頃の秋の風は西から吹いてくる風です。冬になると北風。春は「東風吹かば…」と古歌にあるように、東寄りの風が特徴的です。そして夏は南風。禅語にも「薫風自南来」とあります。いったいどこからの風が本当なのでしょうか。
禅には、「お前さんはどこから来たのか?」という問いがあります。中国は唐の時代、六祖慧能禅師と、後に法を継ぐ南嶽懐譲禅師に問答がありました。「お前さんはどこから来たのか?」「はい、嵩山から参りました」。嵩山は、達磨大師が修行された山であり、また、この問いを受けた南嶽懐譲禅師が以前に修行をしていた場所です。
「どこから来たのか?」という単純な質問に隠れた真意は、「私たちは本来何者であるか?」というところにあります。こういう捉え方をしてみるのも一法ではないでしょうか。即ち、私たちがどこから生まれたかを深く考えてみるのです。私たちは当然ですが、それぞれの両親から生まれて参りました。では、両親はどこから?と問えば、その両親、つまり私たちから見ればおじいさん、おばあさんからです。このような具合に、私たちの命の淵源を尋ねますと、人類の誕生、生命の誕生、そして地球や宇宙の誕生というところまで遡ることができましょう。そこまで思い至ったとき、「私」というちっぽけな存在は、実はとてつもなく大きな命に育まれているのだと気づきます。
会社員時代に、思うように仕事が進まず悩んだことがあります。そんな時に、上司がこう諭してくれました。「君が悩むのもわかる。しかし落ち込んでいるばかりでは先へ進まないじゃないか」「いえ、そうおっしゃいますけれども、どうしたらよいのか……」「発想を転換したらどうか。一度宇宙へ行って、そこから自分自身を見つめ直してみると良い。きっと前へ進めるから」と。「宇宙へ行って」というのは、もちろん比喩ですが、大きな心で自分自身を見つめ直すということでしょう。この時は「大きな命に育まれているんだ」とまでは達しておりませんでしたが、何ともいえない自信が沸々と湧き、再び仕事に集中できるようになったことを思い出します。
考えてみますと、「風」はこの地球に大気が発生して以来、ずっと吹き通しです。これからも吹き続けることでしょう。私たちの命も同じく、これまでも生き通しであったし、未来永劫つながり続ける大いなるものであると言えないでしょうか。ちっぽけな「私」という存在が、実は大いなる命に育まれ、ともにつながって生きている。そういう捉え方ができたとき、自分の想像を超えてずっと力強く歩むことができるように思います。