「死にともない!」今、精一杯の一言
(出典:書き下ろし)
江戸時代の終わり頃、九州は博多の聖福寺に、「仙厓さん」と呼ばれ、多くの人々に慕われた禅僧がおられました。
晩年のこと、88歳の仙厓さんは、いよいよ臨終というまさにその時、「死にともない」とつぶやきました。それを枕元で聞いたお弟子さん達はビックリ仰天です。
「え、いったい何を仰るのですか!」
「どうか有り難い末期の一句をお願いします」
と、皆が詰め寄りました。すると仙厓さん、渾身の精気をふりしぼって、
「ほんまに、ほんまに、死にともない!」
と言って息を引き取られたのでした。
この逸話、みなさんはどう思われましたか。「仙厓さんって、本当に親しみやすいお方だね」。「私たちと同じで、やっぱり死ぬのは嫌なんだよ」と、つい笑いがこぼれてしまいます。けれど、この「死にともない」の一言には、何かもっと深い真実が込められているのではないでしょうか。
私たちは誰だって「死にたくない」と思っています。でも「人生」とは「生」と「死」がセットになっているものです。この世界に生まれて来たからには、いつかはこの世を去って行く日が来ることを、私たちは知っているはずです。
「人生」はまるで「旅」のようなものと良く言われます。私は旅が大好きです。みなさんもきっと旅行はお好きだと思います。旅をしていると、色々な出来事が次々と起こりますよね。決して楽しいことばかりではなく、思ってもみないアクシデントに見舞われることもあります。出会いがあり、別れがあり……。嬉しいことがあって、悲しいことがあって……。でもそんな旅のすべてが、何かとてもワクワクする胸おどる楽しい時だと感じるのはどうしてなのでしょう。
もし、この「人生」を「旅」として見ることができたなら、辛く苦しい出来事や嫌なことに対する見方も今までとは少し違ってくるかもしれません。
すべては過ぎ去って行く旅の途中の出来事。思いがけない喜びや悲しみでさえも、ふいに訪れそして過ぎ去って行くことでしょう。
私たちはそんな「人生」という「旅」をちゃんと楽しんでいるのでしょうか。人生の旅行者の多くは、せっかくの旅を楽しもうとしないで、不平や不満ばかりをこぼしているように思えます。それでも、「旅」の終わりの地である「死」という「人生」の目的地に、いつかは一人残らず辿り着くのです。
私たちは大切な真実に気付かなくてはなりません。「これは、たった一度きりの限りある人生という私だけの特別な旅なんだ」と。