五つの音色
(出典:書き下ろし)
この一ヶ月間、テレビの画面の前で、凍り付くような思いで現地の状況を見守ってきました。何か自分が畳の上に座っていることが申し訳ないような、一刻も早く現地でお手伝いしたいという気持ちにもなりました。しかし、ボランティアのノウハウも無く、現地の方々へ迷惑を掛けてしまうのではないだろうかと思いとどまり、何か自分のできることを探しています。
こんなとき、僧侶の私に出来ることはお経を読むことです。遠く離れた土地から、現地に気持ちだけでも届けたい、そんな気持ちから観音経を読んでいます。この観音経の偈文の中に、こんな時だからこそ届けたい「五つの音色」があります。音色は私たちが発する「声」と読み替えて頂いても結構です。それらは、妙音・観世音・梵音・海潮音・勝彼世間音の五つです。
妙音は、苦難の人々を救おうという悲観から起こる声です。「だいじょうぶですか」という声があてはまります。 観世音は、相手と同じ立場になって発する声です。先日、妙心寺の管長さんである河野太通老大師を取材する機会がありました。神戸淡路大震災の被災者でもある老大師は、当時を振り返り「お見舞いに来られる人々は皆一様に『がんばれ』と言われた。しかし、これ以上どうがんばったら良いのか腹立たしい思いもした」と涙ながらに語られました。「がんばれ」は確かに、相手と同じ階段のステップを踏んでいません。同じ立場だったら「がんばりましょう」「がんばろう」という言葉に変わっていくはずです。
梵音(または読み癖でぼんのん)は、さわやかな声、つまりあいさつの声です。どんな状態にあっても「こんにちは」「ありがとう」というさわやかな声を出していきたいものです。海潮音は、潮騒です。何度も止むことなく繰り返し、そしていつも新たな気持ちで「何度でも来ます」「いつでもお手伝いできます」という、繰り返しの心がこもった声を言います。
勝彼世間音は、彼の世間つまり過去の世界よりも今日の方が良いんだという声です。昨日より今日、今日より明日に向かって良い世間を作って行くんだという復興と希望の声です。
私たちは、今たいへんな時代に、おかげさまで命を頂いています。一人ひとりの人々が五つの音色を持った声を出し合って、力を合わせて行くのだと、観音経は励ましてくれます。