霜覆いの傳
(出典:書き下ろし)
世情は殺伐としている。児童虐待や弱者への暴力などで幼い子どもの命や年老いた命が次々と犠牲になっている。にも拘らず、そんな中で、“伊達直人”等の出現で福祉施設への善意の贈り物が相次いだ。一過性とはいえ、世の中まだまだ捨てたものではない。
寒い冬の季節、凛とした空気の中で咲く一輪の椿の花。しかしその花は寒さを嫌い、雪や霜には弱く、すぐに花が散ってしまう。そんな椿を生花として床の間に生けるとき、次のような生け方がある。
椿に霜覆の傳あり、其の意味は凡て椿は寒さを厭ふもので特に霜に弱く一夜霜降れば開花も悉く痛みて色を變ずる故に霜を除かんがため、十一月頃より自然に自葉を北方に廻して花を開くものなり。(中略)椿花は総じて天を受けて開く故に別して霜を嫌ふと在り、依って霜を除かんがために花の上に霜の降るまで自葉にて花を覆ふもので、この現實を以て椿花霜覆の傳といへり。(中略)此の取り成し方は、自木の葉にて覆ふも在り、或は他の枝の葉で覆ふも在り、寒前より寒明き頃まで椿花霜覆の傳として霜受葉を遣ふものなり。 (日本生花司松月堂古流・傳書 地の巻)
災難が降りかかるとき、親は身を挺して子どもを守ろうとする。それが親の持つ本能だからだ。椿でさえ必死になって葉を覆って花を守るのだ。
それはあたかも賽の河原で父母のために積む石を鬼が蹴散らし、逃げ惑う子どもたちを、衣の袖に隠し守ろうとする地蔵菩薩に似ている。慈悲の心とは、「せずにはおれない」という、人間の心の内からの無意識な自発的な行ないである。椿の葉にその心を見た思いがする。